こんばんは。こんにちは。月曜日から低空飛行です。今日は中二階からモノローグをお届けします。
ふとわからなくなるときがある。社会は、本質が見えてないんじゃなくて、見ないようにしているのかな、と。それをオトナの言葉で「建前」とか「政治」とか言うのだろうか。
仕事人生において、「本当に本気でそんな戯言を言ってるのか?舐めてんじゃない!」と思う機会は時折訪れたけど、最近は”思われる”側の経験がとても多い。
もちろん、舐めてるわけでもなんでもない。しかし、これまでの経緯や物事の蓄積やしがらみが三つ巴でがんじがらめになって、どうしようもなく、こんな感じで着地せざるを得ません、という状態。おまけに、いったんガラポンにすることすら憚られる官僚主義。
経緯を知らない第三者から見ると、「なんでこんなことになってんだ」としか思えない。サボってるようにしか見えない。
前職のようなガチガチの組織だと、どうにか帳尻を合わせたり、各所で強い政治力が働いたりして、事なきを得るように差配できるリソースがあった。リスク管理の為せる技である。暗黙で連帯責任を取るように指揮命令が働く。ある意味、一人で責任を取りたくないので、必死でどうにかしてきた。してくれる人も沢山いた。
そうじゃない組織では、本音と建前を使い分けて、なんとなくソフトランディグさせるように持っていく特殊能力が磨かれる。でも、そこで若い頃の私のような正義感の強い第三者が現れると、構築しかけていた曖昧な秩序が、突如崩壊される。
「はい、おっしゃることはごもっともです」としか言えない。でも、そんな正しい評論をされたところで、物事は前に進まないし、むしろ後退する。わかる、わかるよ、あなたの言ってることは正論だよ。でも正論だけ言って、相手をロジックで詰めてどうするの。完璧にはできない状況でも、進めていかないといけないんじゃないの。と、何度も喉から出そうになる言葉を引っ込める。引っ込めるのも政治力。
昔、どうしても合わない怖い上司がいて、会話することもできず悩んでいた頃、「あの人は正論しか言わないから」と周りの人に慰められたことがある。当時は慰めてくれてるのかもわかっていなかったが、今ならよくわかる。
正論は時に毒になる。
本質がわかっていないわけではない。わかっていて、それでも進めていく胆力でどうにかしている。その不安定な吊り橋の上で、正論だけぶっ放すことは、気持ち良きこと山の如しだろう。私にもそんな時期があった。今はそんな自分を恥ずかしく思うが、未熟だったので仕方ない。
現場では、正論に射抜かれた時点で、疲弊するだけ。仕事ができると自覚している方は、正論を言ったその後にどうするか、までセットで言って欲しいものよのぅ。
以上、モノローグでした。
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