こんばんは。こんにちは。ノートPCの熱で暖を取っています。長野からトンボがえりですが、上りの特急あずさは下りほど揺れないんですよね。帰りは絶好調で仕事しています。
本日は火曜なので平日回帰Φ瑠をどうぞ。オーディオインタフェースのケーブルをPCにつなげないまま、意気揚々と鉄の塊(マイク)に向かって話しております。ノートPCのマイクが拾った音声なのでお聞き苦しいかも。
私はなぜか「港」に関連するコト・モノが好きで、会社員時代は貿易に関連する仕事に移ったりするなど、無意識にどうにかして関わりを持とうとしてきたのですね。これは本当に理由がよくわからず、「ただ直感的に惹かれる」というやつです。
#耳タコの方ごめんなさい
そんな中、ちょっと発見がありました。今、曽祖父と大伯父の足跡を追っています。
私の生まれは北九州市の門司なのですが、曽祖父と大伯父は、どうやら門司港あたりでブイブイ言わせていたということと、大叔父は最終的に損保会社の社長になったとか曽祖父は市長になったんだ、とかはうっすら知っていました。しかしもう祖父母もいないのでそれ以上のことはよく知りませんし、そもそも先祖のことは興味がなく、これまで追究することもありませんでした。
ふと何故か思い立ち、さすがにネットで検索しても出てないだろーとやってみたら、ちょこちょこと文献の切れ端が出てきたりして、これは探っていくと結構面白いのかもしれない、と思い、現存する書籍などを古本で取り寄せたりしています。
まだ全部は読めていないのですが、貧しい漁業の村が突然、日本の貿易の頂点を担って近代化の拠点となり、さらに戦争推進の要塞として軍国主義の最先端を行っていた門司港で、かの二人はその政治経済の中心の渦にいてブイブイしていたことがわかりました。
#マジか
ただ、「由緒正しい家の子」じゃなく、完全なる叩き上げなのが最高に痛快。やっぱりなという感じです。
出てきた写真を見ると曽祖父は結構イイ男なので、こりゃ相当…(略) と複雑な気持ちにもなります。
#文献には料亭のことが沢山出てくる
#遊んでる密談している写真とか出てきた
#ちょっと恥ずかしい
曽祖父は、当時「門司の三羽烏」とその名を響かせたとありました。石油の出光佐三、米の久野勘助、そして船舶の中野真吾(我が曽祖父)。この三者で朝から晩までまさに「政治」を回していたみたいです。
#料亭で
#コンプライアンス大丈夫か
明治から大正〜昭和にかけて、戦後の混沌の中から短期間で立ち直っていく門司港(そのあとまた衰退する)。貿易拠点そのものを作り上げていた当事者とは露知らず。私が港好きなのは血なのかもしれない、いや多分たまたまだと思いますがそういうことにして物語的な要素が欲しい、なんて思います。私も貿易まわりで色々貢献しないと。
しかしここまでの人物なら、もっと「金持ちの家」になっててもいいと思うんですが、めちゃくちゃ庶民なので、叩き上げは限界があるのかもですね笑。それこそ「イエ制度」というものには勝てぬか。
取り寄せた古本が門司港の歴史と関門エリアの近代史として面白すぎるので、読み進めてみようと思います。
🐦 X(旧Twitter):@ayakoPizumi
🎧 無限塔の秘密:Spotify / Apple / Google / Amazon / LISTEN
🎧 平日回帰Φ瑠:Spotify / Apple / Google / Amazon / LISTEN
☕️ 活動Link:https://linktr.ee/jediaya