こんばんは。こんにちは。一日が過ぎるのが猛烈に速い…今日は何をしていたのか。というわけで火曜回帰Φ瑠です。
今日のテーマはキャラ設定についてでした。
そういえば10代〜20代前半で映画の自主制作をしていた時期があり、脚本を作るときに、いわゆる「キャラクター設定」は肝の工程としてやっていました。脚本作るのも楽しいのですが、やはりキャラ設定が一番楽しかった記憶があります。はじめて映画を作ったのは小4の時ですが、作ったといっても好きなカンフー映画をコピーしたに等しく(ひどい)、キャラ設定があいまいなまま進めたため、よくわからないエンディングになりました(ま、それが面白いのですが)。
「こういう性格で趣味趣向を持つキャラクターは、こういう行動をするに違いない…ここでこういう発言をさせて…そしてあの人の不可解な行動にはこういうリアクションを…」ということを自分の中で妄想に妄想を重ね、一人で何役もの人物像を疑似体験して、ストーリーを動かしていきます。これがめちゃくちゃ楽しい。
ただ、完全な趣味の活動なので、人々に共感される(ヒットする)ことは一切前提とせずに、とにかく不可解な行動をさせたり、いつぞやのアジア映画・フランス映画のように、「結局なんなん?なんで死んだん?」みたいな、わざと視聴者に考えさせるストーリーにしたりと、ものすごくイキっていたなと思い返します。
#大迷惑
#わけがわからない
それは置いといて、キャラクター設定。回帰Φ瑠ではキャラ設定しなくていいという結論にしましたが、自分の中のいろんな分人において、誰かのためにキャラ設定してもいいかな、と思います。映画の脚本で物語を作るように、キャラクター設定をしてみたら、未だ見ぬ己の側面を出すことができるかもしれません。それが誰かの役に立つなら、それもありだなと。でもそれは決して望まない自分像に無理して変身することを己に強要するのではなく、より先鋭化させるのに近いものです。ただボケッと過ごすのではなく、場面に応じた役割を演じる。アイデンティティ・クライシスという言葉もありますが、もうこの年齢になってきたので、さすがに自分探しに躍起にならなくてもいい。それよりも、面白い自分を演じるという自分実験をしてみたいなと思ってみます。
というわけで、急に姿勢が良くなって言葉遣いが丁寧になり、健やかな微笑みを浮かべるようになったら、キャラ変したな、と思って下さい。
#気持ち悪い
#でもやってみたい
#ノリとしては007 -私の愛したスパイ-
#親友に「やめなよ」と言われるのが目に見えている
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綾子さんいつもありがとうございます。
文人って言葉があるのですね〜オモシロです。
また全然領域が違うのですが
仏教密教で言うところの「空」の概念を思い出しました。
「空」=「無」ではなくて
「無限大の、まだ現れていない全てのポテンシャル」
であると 今のところは把握しているのですが
わたし達の存在そのものがまさにそれで
環境、文脈、その場の状況など360度皮膚細胞でキャッチしながら
「今この瞬間にどう在れば、何を発すれば、どんな因果律を奏でられるか」
を意図した時、
それに即したポテンシャルが、空の中から取り出され、
現実化(実践)される。
肩書き・役割・過去の経歴などなど
我々は自分自身を「枠」に捕らえて暮らしてように見えて
瞬間瞬間で、聖母にもなり、鬼にもなり、007にもなり…
を、すでにやっているのでしょうね。
すでに自動化されてしまったそれをやり続けるのか それとも
自分が変えていきたい方向を意図して その自動化を新しく書き換えるのかで
目の前に現れてくる舞台が変わり
そこで演じられる役割も変わり
まあそんな仕組みはなんとなくわかっていても
オートマ化された自分劇の中に
まだまだ囚われているなあと
わたしも新たなキャラを自分の中に作ってみようかなあと
(金曜の夜はオープンマイクでジャズを歌う謎の女とか)
そんなことを考えました。
いつも感謝です。