こんばんは。こんにちは。9月3日…なんてことだ。今日はこども会議を終えて、渋谷に向かいました。徒歩20分かけて歩きとあるオフィスへ行き、ゆるながミーティングをして裏通りで中華を食べた後、帰り道は大雨の中また25分、自宅まで歩きました。頭がゆでダコのようになりました。湿度と高温のマリアージュ。スマホを見たら9,800歩。1万歩行ってないだなんて…なんてことだ。
渋谷の夜。ありとあらゆる人種が蠢き、お金を入れる箱を置いてじっと待っている人がいて、ネオンがいつまでもギラついて光り、若者は座り込んで何かを話す。トンネルの中を歩くと異臭がし、金髪の日本人女性たちが香水の香りを撒き散らしながら闊歩する。なんともにぎやかなのですが、昔よく旅行で行った東南アジア各国の勢いや活気や生命力があるというわけではなく、無機的で手垢のついていない巨大なビルディングがいくつもニョキニョキと建っているものの、成長の途上というよりは、ゆっくりと堕ちていくという言葉が似合う。そして物価の安さに乗じて、外国人たちが気軽に遊び散らかしている、という感じがします。通りすがりに聞こえてくる言語が英語でも日本語でもない。中国語が多いというわけでもない。インバウンド、もちろんありがたいのでしょうけど。
秩序と混沌のあいだにある渋谷。でもあまり、気持ちよくない。
こうして時代が変わっていく狭間を見るのは貴重だな、なんて思いながら街をぼんやりと見つめていました。ある意味、誰も止められない流れがあるように思えてなりません。家に籠もってリモートワークをしていると、世の流れが体感できないものだなと思います。ここが日本の中心ではないでしょうが、トレンドの最先端ではある。新宿でも池袋でもない、やはり渋谷。
ちょっと香港と似た臭いがしますが、屋台があるわけでもないので、歩けど歩けど街からはシャットアウトされている感じがして、閉塞感がある。ここでは生き抜いていけない、という気がする。アジアメトロポリスの中心は、屋台という動力源で賑やかであるべきだと私は思うのですが、TOKYOは変に潔癖症でそこが残念なのだよなぁ。
屋台さえあれば、満島ひかりだってなんとか踊ってくれるだろうに。TOKYOには踊りたくなる場所だってない。
ただ日本が今から屋台を作ったら、「屋台村」という例のハリボテ建築になるのがオチである。あの”屋台感を出すエリア”をショッピングモールの片隅に見る度に、悲しくなるのは私だけでしょうか。壊して、再現して、それが”再開発”なのだろうか。
中途半端どころか、中途まで行ってない。安上がりなコスプレ会場のようだ。剥き出しの鉄骨で、無愛想なお兄ちゃんがタオルを巻いて、顰め面で鉄板焼きを作ってくれるだけで、私はいいのだが。
いたたまれない感を少し書いてみました。
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