こんばんは。こんにちは。今日から8月です!火曜日なのでこちらをどうぞ。今回は、「風立ちぬ」と「らんまん(朝ドラ)」の共通項を見出した回でした。
相変わらず、物語のあらすじを話すのが苦手ですので、そこは期待せずでお願いします。あらすじを話すのが下手なら下手なりに、たどたどしさが面白いと思ってもらえるようなトークがしたいのだが、なかなか難しい。
自分の心理を反映するのに良いテーマが見つかったので、またセルフ整理できるといいなと思うし、ちょっと共感してくれる人とこのテーマについて話してみたいです🙏久しぶりにコーチと話すか…毎度この暗闇で藻掻いている気がする。
「サピエンス全史」で、現在の人類は虚構(ストーリー)を創れる能力があるので発展・繁栄したと書かれていました。ただ、ストーリー仕立てになると、それがフィクションだと分かっていても、心理的障壁が取れて、認知バイアスが起こりやすいものです。
基本人間は非合理な生き物ですが、ストーリーのナラティブ次第で、本当に非合理なことが平気で起こったりします。で、それでいい・むしろそれがいい、といって世の中が回っていたりする。足元の事実を認識するのをやめて、ストーリーの一員になることに酔ってしまう。その流れで意思決定をしていくことが、将来的に大きな墓穴を掘ることになったりしてるんじゃないかな、と思うときがあります。
ストーリー仕立てになると、それが心揺さぶるものであればあるほど、心理的障壁が取れて認知バイアス(歪み)が起こりやすい。逆に、大事なことでもストーリーがイケてないと、いとも簡単に反故にされる。だからフィクションじみた世界観を作らないと、人がなびいてくれないから、あらゆるトップの人達というのは物語を語りたがる。というかそれしかしてない。その語りの巧さが求められる。自分は何も手を動かさずにストーリーを語るだけで生きているんじゃないかという人も多いですよね(ここでは小説家や漫画家などを指しているわけではないです)。
コミュニケーションの主な目的は、「他人を自分になびかせること」だという定義があります。すごい強烈ですけど、あまり否定のしようがない笑。ということは、ストーリーを語れることこそが、他人に影響を与える最強の方法だと考えられます。MBAの授業でも、多分「ストーリーテリング」という科目があるはず。
#知らんけど
意義とか理念とかパーパスとか。
聞こえはいいのですが、なんというか、例え良いことであったとしても、魅惑的にストーリーを作りすぎてそこに寄ってくる人を増やすのって、手放しで良いことだとは言えないのではないか。元も子もないことを言いますが、誰かが作った崇高で魅力的な理念にしばられると、自分の可能性を狭め、窮屈にし、現実を直視せずに、身動きを取れなくすることにもなります。これまでの歴史を見ていて、実は誰もが明らかにわかってることかもしれません。
そして最近思うのが、上記のことをすべからくわかった上で、だからそれを利用する、という人たちも沢山いるということです。無邪気な人と狡猾な人、どちらも付き合っていくのは大変だし、ふとした瞬間に己の駒感を感じて嫌になったりもします。誰しも駒のように扱われるのは嫌だと思いますが、そういう社会構造になっているのだから、甘んじて受け入れるしか無いんだろうなという諦観も、同時に覚えるのです。
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