こんばんは。こんにちは。
そういえば、みなさんコロナを概ね忘れてますよね。あのコロナの自粛期間、今思うと非現実な状況だったなと、今は思います。すでに遠い昔のような気がしています。コロナは2019年12月初旬に、中国の武漢市で第1例目の感染者が報告されました。その後数カ月ほどの間にパンデミックと言われる世界的な流行となりました。日本においては、2020年1月15日に最初の感染者が確認されました。本日までに約3年半前ということになります。ほぼ3年間というと、よく言いますが中学や高校そのもの。本当に長いはずの3年間。真面目に自粛をしたし、この自粛をしながらもオンラインでの活動スタイルが一般に急速に拡大したし、私も会社を辞めたし。3年もあると色々変化するものです。
しかし、「3年間もあったら…もっと色々できたよな」という、無念の気持ちも感じています。
今は「君たちはどう生きるか」の話題で持ち切りですが、10年前の「風立ちぬ」の方を妙に思い出しています。あの映画で問われていたことに、私はどう答えを出していこうとしているのか。今回は「君たちはどう生きるか」と問われたけど、10年前の「風立ちぬ」では「君たちはどう仕事をするのか」と問われていたのだと今になると思えます。そしてそれを思い起こされるような打ち合わせが、今日は多かった…。
『風立ちぬ』の主人公堀越二郎は、少年時代から空や飛行機に憧れて、純粋にただただ、夢を追い求めていました。
魚の骨のカーブを参考にして機体を設計したり、画期的な枕頭鋲を開発したり、とにかく一心不乱に図面をひく姿からは、とうてい戦争とは関連の無い、ものづくりに没頭する青年の姿に私には見えました。
当然、美しい飛行機であっても、それが戦闘機である、という矛盾は抱えていましたが、それ自体が「良い/悪い」という次元ではなく、とにかく飛行機が「好き」だから、という、最終的には「好き/嫌い」の次元で、のめりこんでいました。
彼の中に、やっている仕事の先に、「戦争に勝ってやるぞ」なんていう当時としては”崇高な”目的なんて微塵もなかったでしょう。
そんな主人公の姿は、一人の人間が夢と一緒にエゴを追及した権化にも見えます。夢のためには刹那主義になれる。妻の命よりも自身。根底に流れていたのは、純粋な夢と憧れでしかなかった。その積み重ねが、 ゼロを生み出しました。
とはいえ、少年時代は下級生へのイジメを見て憤慨してケンカをし、関東大震災の時も、見ず知らずの少女(菜穂子さん)とその侍女をまさに体を張って助けていました。貧しい子供たちに、自分が買ったシベリアをそのまま渡そうとしていました。そんな優しさも、ちゃんと持ち合わせています。
優しい反面、薄情で非道。優しさとエゴ。夢を追う純粋な鬼。
夢のため、仕事のためならものすごく薄情になってしまえるひとりの人間のエゴと、
その人間とエゴ集合体が作り出す世界の想像を絶する残虐性と、そんな社会のしくみの残酷さが描かれていたように感じます。
あの戦争の中で、一人一人が生きるために負っていたものは、紛れもなく、「生きること」と、そのためのひとつひとつの小さな「仕事の積み重ね」でしかない。
君にとっての、仕事とは何か。
一人の人間が美しい夢を追う時、そのまわりにいる沢山の人たちや、貧しい庶民たちが引きずり込まれ、多くの若者たちや妻も犠牲にしてしまった。そんな犠牲の上に成り立つ芸術作品は、罪深く、しかし美しいのだという、非常に大きな、この世の矛盾。
私たち現代人が、仕事として、 良きことと信じていることへの追及、楽しいなぁと思っていることへの追及が、実は知らず知らずに、社会全体としては狂気へ突き進んでいるのではないか?
仕事には本音と建前がある。堀越二郎のように本音だけで貫けたら本望だ。だがみんなわかっている。今の仕事のほとんどは純粋さからはかけ離れている。崇高な目的があったはずなのに、裏では差配。政治がないと何も出来ない。真水でやろうとするのは世の中を知らない庶民。そこには確実に階級というものが存在します。私は確実に下級の部類です。いやー、大企業会社員歴が長いと本当にこうなるんだと、コロナの3年というかその前の30代の10年ぐらい…ちょっとがむしゃらに狭い企業の中でやりすぎた感があるな、とさえ思ってしまうほど、世の中のからくりに対し、己の無力さがでかい…と痛感。ただ、時代の違いも大きいですけどね。
会社から抜け出したけど、会社は社会の縮図。範囲が矮小なだけで、世の中も大体優秀な人達のコネと根回しと、巧妙なテクニックで出来ている。いやむしろ、それが全てな気すらしてきます。めまいがする。
繰り返しますが時代の流れというのもあります。今私が20代や30代だったら、また置かれた状況も取った選択も明らかに違うのでしょう。
過ぎた日々をどう考えても仕方ない。「風立ちぬ」や「風の谷のナウシカ(原作)」でのメッセージとして、私が感じたのは、今日も明日も、生きねばならない、ということ。そこだけは10年経っても変わらない。ただ、どう仕事をするか?には、まだ回答えが出せていないままの私がいます。ということは、「どう生きるか?」にも、答えが出せない。
夢を追った結果に出来上がった世界は、残酷で非道なこともある。
しかし、夢中になれることを見つけたのであれば、今日も明日も力を尽くして、生きねばならぬ。
夢中になれることが見つからなくても、生きるために働かねばならぬ。
主人公の夢の中に何度も出てくるカプローニという有名な設計士が、出てくるたびに、何度も何度も出てくる問いかけで締めたいと思います。
『力を尽くしているかね?』
(全て汝の手に堪うることは、力を尽してこれをなせ)
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