こんばんは。こんにちは。今日の熱暑はいかがなものか。数分外にいるだけでサウナ以上の効果が出たような気がします。
「誰がために鐘はなる」という一節があります。最近のBUCK-TICKのアルバム「異空」における一曲でも引用がされていました。また、岡田斗司夫先生による「君たちはどう生きるか」解説でも少し引用して解説されていたので、調べてみました。
原文の方がわかりやすいので英語から。
No man is an Island, entire of it self
Every man is a piece of the continent, a part of the main
If a clod be washed away by the sea,
Europe is the less, as well as if a promontory were,
as well as if a manor of thy friends or of thine own were
Any man's death diminishes me,
because I am involved in Mankind
And therefore never send to know
for whom the bell tolls ; it tolls for thee.なんぴとも一島嶼(孤島)にてはあらず、
なんぴともみずからにして全きはなし、
人はみな大陸の一塊 、
本土のひとひら
そのひとひらの土塊を、波のきたりて洗いゆけば、
洗われしだけ欧州の土の失せるは、さながらに岬の失せるなり、
汝が友どちや汝なれ みずからの荘園の失せるなり、
なんぴとのみまかりゆくもこれに似て、
みずからを殺ぐにひとし、
そはわれもまた人類の一部なれば、
ゆえに問うなかれ、
誰がために鐘は鳴るやと、
そは汝がために鳴るなればジョン・ダン 瞑想録 第17
ヘミングウェイ「誰がために鐘は鳴る(For Whom the Bell Tolls)」のタイトルも、このダンの説教の一節から取られています。
太字にした特に有名な部分について、もう少し意訳します。
他の人々とのつながりが人間の一部であり、孤立して生きることはできない。人間は社会的な生き物であり、社会・他者との関係で成り立っている。
他者の苦しみや死に対して無関心でいてはならない。誰かが亡くなったり困難に直面したりするとき、鐘が鳴らされることがあるが、その鐘の音は他者のためだけでなく、自分自身のためでもある。つまり、人々は互いに連帯し、他者の幸福や苦難に対して責任を持っているのである。
という感じでしょうか。
人間関係が大事だよ、ということもありますが、それよりも人間の集積である社会を捉えて、一人ひとりが社会の一部になっていて影響を与えている、そこに責任を持っているという事実を、昨日グチグチ書いた自分に対して強調しておきたいと思っています。
誰がために鐘はなる
自分と社会の関連性について、(特にグチグチしている時などは)ともすれば欠落しがちな視点になるのですが、想像力を駆使して他者を思いやりましょうという上滑りする意味ではなく、本当に影響の一匙を与えて(しまって)いるよ、という今の事実や証跡を掴み、そこにときには存在しうるであろう自己矛盾に立ち向かい、受け入れながらも歯向かっていく。それをリマインドさせてくれる鐘の音なのだと思います。今の日本人の私にとっては、基本的に鐘と言えば大晦日に寺が鳴らすやつ。ダンが聞いたような教会の鐘はなじみが薄いし、お葬式の時に鐘を鳴らすこともないので、稀に鐘を聞いて、他者の死や痛みを思うこともありません。
だから時折、心のなかで鐘を鳴らしてみます。あなたもご一緒にどうですか。誰かのための鐘は、あなたへの鐘。
鳴らせないよって方は、和田アキ子の名曲「あの鐘を鳴らすのはあなた」を聞くのもよいですね。
#和田アキ子の歌唱力
#阿久悠の歌詞力
#なんという名曲
LUNA SEAの「SELVES」でもずっと鐘のような音が鳴っています。
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