こんばんは。こんにちは。昨日の頭痛から復活\(^o^)/ お声がけいただきました方、ありがとうございました。人のやさしさに触れると泣けてきます。しかし調子に乗って夜はビールを飲んでしまい、現在はまた頭痛に苛まれています。だって、この湿度と暑さ。いくらお酒が苦手な私でも、ビール飲まないでどうしろっていうんでしょうか。
#知らんがな
昨日の頭痛はよくわからないのですが、人間の心と体の関係というものは、未だ解明がなされていない部分も多いという認識です。そもそも、「私」という自己認識自体、私はずっと不思議に思っており、なぜ「私」という感覚になれるのか、と考えだすと、本当にわからなくなって、心がぼーっとすることがあります。この体の上に乗っている心とか精神とか、これは一体ぜんたい、なんなのか。体に心がくっついているのか?この考える「私」・感覚を感じる「私」が、体を操っているのか?
そう考えると、性別という区分もよくわかりません。体の構造には見た目で判断できる種類があると思いますが、では心にはそれがあるのか?自分の心が女なのか男なのかも、よく考えるとわからないものです。心の性別ってどう定義するんでしょうか。私は何をもって女の心を持っていると言えるのでしょうか?男が好きだから?いやいや、それすごい曖昧ですよね。多分、曖昧なものだと思うのです。
性別というのはスペクトルであるという認識が一般的になっています。
「他の全ての生物学的パラメーターをしのぐようなパラメーターは存在しません。結局は、性自認が最も合理的なパラメーターだと思っています」とVilainは言う。つまり、もし誰かが男性なのか女性なのかを知りたかったら、本人に直接聞くのが一番ということだろう。
わたしたちは自分の体と心の関係すら、よくわかっていません。社会が勝手に定義した二元論的「男女」に当てはまらない人もいるということは、生物学的に起こるものだと実証されています。言葉を選ばずに言ってしまえば確率論です。体と心の性別が一致しているのも確率の問題だし、一致していないのも確率の問題。
残念ながら、これまでの世の中というのは確率論的にたまたまマジョリティになった人間が、当たり前のようにルールを作って動かしてしまっている横暴さに満ちあふれています。そのせいでマイノリティの人たちというのは常に苦しい状態を強いられています。そして、特に性別の件は自分が持って生まれたもの以外を体験することができないので、知ろうと思っても実態を体感することができない。そもそも、自分の心のことだってよくわかっていません。そんなわからない人達が、マジョリティだけの論理と感覚をベースに法律を決めたりルールを決めたりしようとしている。
どんな生きづらさがあるのか、自分のこと以外はわからないはずです。でもわからない上で攻撃するというのは、本当に知性と感性の欠片もない。どんだけ品格を失ってしまっているのか。こんなに成熟した(と言われている)日本で、なんと情けないことか。しかし、こんな社会にしてしまっているのは紛れもなく私達であり、一人ひとり全員が加害者なんだと私は思います。「中間の奴らが何もしないから」、です。
自死の報に対し、「なぜ?」「こどももいるのに」とか言ってる人が多いですが、「なぜ?」じゃないんですよ、ほんとに。「なぜ?」と言っている人なんて全員、加害者です。「自分には一生わからない」ということがわかってない。わからないとわかっているから、何かしら小さいことから、行動する。
と、リマインドする夜でした。
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