こんばんは。こんにちは。月曜日が終わって次は火曜日です。頑張りましょう!
最近仕事でお世話になっているとても優秀な責任者の方が、「分水嶺」という言葉をよく使っていらっしゃいます。今日思わず付箋に「分水嶺」とメモしてしまいました。
「分水嶺」
山に降った雨水が異なる方向に流れてそれぞれの水系を作る、その境界線となる峰を意味する表現である。転じて「その後の動向の方向性を決定づける大きな分かれ目・転換点」の比喩として用いられることもある。
使われた状況としては、「みんなあまり気づいていないけど、ここを疎かにしてしまうと、成功か失敗か結果が変わってきてしまう、という本当に大きな大きな分かれ目に差し掛かっているよ」という話の過程でした。上記の通り、「大きな分かれ目」と言っても良いのですが、そこを「分水嶺」と表現することで、重みが言葉に乗ってくる感覚を受けました。
方丈記で、「ゆく川の水は絶えずして、しかも元の水にあらず」という有名な冒頭の一節があります。「川の流れは絶えることはないが、そこを流れる水は同じではない。 よどみに浮かぶ水の泡は、消えてはまた生まれ、長い間とどまる例はない」という意味です。「水」というのはあらゆる事物において不変とか諸行無常を表すのに合っています。以前もブルース・リーの「Be Water, My Friend」において、水が引用された老荘思想まで遡ったことがあります。
今回の仕事の会社では、毎日大量の仕事をメンバーがグングンと進めていて、次から次にやることが押し寄せていて追いつかないし、人も増員させて大きな流れも出来てきて、進めば進むほど勢いもついている最中です。でもその流れの中で、小さいけれども実はものすごく大事なことが疎かになりつつあって、強力に楔を打てるか打てないかで、川の流れが成功か失敗か変わってしまうんだ、ということが、この「分水嶺」という言葉から感じました。その小さなことに注目してくれたことも、そこにこの言葉を選んで使ってくれたことも、すごいリーダーだなーと感心しました。
私は、語彙が少ないので、こういうふうに比喩で例えられる別の言葉を沢山知っていて使いこなせる人は、無条件にかっこいいなと思います。私だったらせいぜい「分岐点」とかだなぁ。私もどこかで「分水嶺」使いたい!と思ったので付箋でメモしました。
#みなさんも使ってみましょう
否、すみません、大事なのは、そもそも「ここは分水嶺なのではないか」に明確に気づけることですよね。それがわからない中で常用しちゃうと重みが乗らない笑。気付けるかどうかというのは、やはり俯瞰して事業を見ているマネージャしかわからないのかもしれませんが、肩書もない個人(メンバーの一人)であったとしても、その視座を持つことは大事だなと思うわけです。最近はチームの中で他のチームが何をしているのか情報が共有される(というか閲覧できる)のは当たり前だし、誰でも頑張ればマネージャ目線になることはできますよね。
#昔は情報を抱え込むマネージャが本当に多かった
#抱え込むつもりはなくてキュレーションしていた感じだったと思うけど
#そのキュレーションがいけてないと全てがコケた
この「分水嶺」の存在は事業に限らず、人生においても気付けるのか?というと、そうでもないなと思います。人生というのは往々にして後からしか「あそこが分水嶺だったんだなぁ」としか認識ができないものです。むしろ、最初からこれが分水嶺だー!と力を入れるとロクなことがありません。とにかくアメーバ的なネットワークが多い中で生かされている生命体なので、思い通りにはならないものです。
以前も散々書きましたので、よかったら是非。
とはいえ、事業においても、もしかしたら分水嶺なんてものは存在しないかもしれないわけですが、経営としてどう方向性をつけるかというのはとても大事だし、いろんな事象が関係してくるものですが、どうしても事業は合理性の追究をしていかないといけないのが面白くも難しいところです。
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