こんにちは!
昨日は慣れない力仕事(といっても大したことではない)をしたおかげで、21時ぐらいにまんまと寝落ちしました。このままではニュースレター毎日配信の連続記録(昨年末から毎日配信継続中)が途絶えてしまいます。しかし本配信を遅い昨日分とし、今晩の真夜中の配信で「何も途絶えてやしない」というルールにしました。誰も気にしてないのはわかっていますが、私の習慣の問題です。1日でも途絶えると、全てがなし崩しになりそうで…。この自分との睨み合いは冷戦時代の米ソのような緊張感があります。
さて、今日はプロジェクトマネジメントについてです。
前職の会社はシステム開発業なのに「プロジェクトマネジメントの会社」とも言われており(良くも悪くも…)、PMについてノウハウが蓄積されている組織でした。とはいえ大規模で、リソースもそれなりに調達をする前提でのプロジェクトが殆どでした。また、社員全体がその作法を知っているので、ある程度暗黙知がある中で物事の進め方を簡単に共有できたりしました。
大企業の外に出てからは、リソースが潤沢であることなんてまずないのと、前提知識がバラバラなので使う用語ももちろん噛み合いません。前提にある哲学、アタリマエや基本動作が違うので、今まではわざわざ言わなくてもよかったことを、ちゃんと言葉にして言わないと何も進められないことがあります。あと、人が思う「コミット度」もかなり違います。「期待値のコントロールをする」という言葉は私はあまり好きではありませんが、要は目指す到達点とそこへの進み方を言語化して相互確認しておかないといけません。
とても当たり前なことを書いていますが、シンプルなことでも認識はズレまくっている、というのが基本ラインです。例えばこの「到達点を定義しよう」と問いを投げかけても、到達点ではなくそこに行きつく過程のことだけが話されていたりと、言語化する対象がズレることがよくあります。また、単語の意味理解がズレることもあります。プロセスについての考えが違うのに、細かい内容になると聞いていられない(細かいことに根気がない)人もいるので、違いを気づかないまま進めてあとで大問題になることもあります。テーマは噛み合っても、重要だと考える観点・ジャンルが違う場合は議論そのものがまったく噛み合わないまま、お互いが言いたいことだけ言って終わるというケースもあります。
色々ありますが、結果的に前に進むなら認識齟齬の粒はあっても良いのです。すべての違いを駆逐するなんて無理なので。なので、前に進むために、メンバーの特性をよくよく見て、議論の塩梅を調整することが大事です。
ただ、ガチなプロジェクトの場合は、本当にやるべき役割の人がやるべきことを最後まで全うする、その機能の境目をあいまいにしないことが肝要だと思います。反面でそれが強すぎると、言われたことしかしなくなる人も出てくるので、タスクの抽出漏れがあったときにそれを誰も拾わないマインドが醸成されます。プロジェクトマネージャーは、そんなメンバーの特性やマインド、役割と機能の配置の全体感を見て、工程の進み具合や滞りの兆しなどを発見し、裏で先手を打って対処したり楔を打ったりしないといけません。
あー、今思い出してもほんと難しかった。プロジェクトマネジメントって本当に難しいです。会議一つとっても、アジェンダを決めずに行き当たりばったりでうまくいくことなんて本当にありません。とはいえ、到達点からバックキャストだけをしているとアイデアが収束されてしまってつまらないものが出来上がってしまいます。締めるところと緩めるところ、仮説を持っておくところとノーアイデアで突き進むところ、それに応じた作業ボリュームの上限を見越しておくことなどを、常にチェックし続けないといけないわけですが、この心労というのはやったことのない人にはわからないものです。なんなら、線表だけをちまちま眺めて何もしていないように見えたり笑、実働せずに事務作業だけをしているように見えたりしますよね笑。
#ほんとにそれしかしない人もいるが
プロジェクトマネージャーって、孤独だな。
一度でもヒリヒリしたことがある人は、その大変さがわかってもらえると思います。何事も問題が起こらずにプロジェクトが完遂したケースは、プロジェクトマネージャーが裏で相当な汗をかいていたり作業を全部巻き取っているか、または各メンバー全員が相当優秀な人だったかのどちらかだと思います。
でも、往々にして「大問題が発生して」、「途中から火消しに入って来た人」だけがスーパーヒーローのようにもてはやされたり、問題のないプロジェクトよりも評価されたり美談になったりします。影で地味にコツコツやって、何の問題もなく終わらせたプロジェクトは、目立つこともなく評価されることもなかったりします。俗に言う「炎上案件」。魅力的な物語を作ることは大事ですが、それがないと真髄を見ようとしないというのは、なんというか、やるせないものです。物語のないところに面白さを見つけられる人(これがリーダーな気もする)が増えるといいなと思います。
評価する人・組織・世間・メディア・社会は、その価値や難易度がわからないので、外からの見た目で評価せざるを得ないのもわかります。あとは仲良しクラブ的な、人の好き嫌いの関係もあったりしますね(どうしようもないな)。ゆえに私は、独自取材ができないリソースの少ないメディアでの取材記事などは、決して相対的評価とせずに、たまたま載ったコラム的な位置づけで受け取って読んでいます(否定しているわけではない)。
広告モデルのメディアの記事などは、それを「批判する」「賛同する」「共有する」、はたまた「読む」こと自体が、「その記事に賛同している」ことを表します。メディアはその視聴傾向やPV数をもとに、視聴者・読者が見たいと思いそうなものだけを見せることに注力していきます。広告モデルの場合は仕方ないですね。
なので、様々なジャンルにおいて本質がわかっている人は、率先して薄っぺらいメディア評価を「見ない」「共有しない」「批判もしない」、つまり「無視する」というのが一番だそうです。それが最も強力なアンチテーゼである、
というようなことを昨日岡田先生がおっしゃってました!
それこそが世の地味で素晴らしいプロジェクトマネージャーへの報いとなるでしょう。みんなで目利き力を上げていきましょう。
どうぞよろしくお願い致します。
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