こんばんは。こんにちは。いま手元にチョコレートがなくて、頭から離れません。今日は途中で気を失って(という名の眠気に襲われ)、2時間ぐらい落ちていたので、現在26時ですが元気です。
千利休が唱えた「守破離」という概念があります。
茶道など「道」などにおいて、修業における段階を示したもの。
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。
「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。
「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。
茶道に限らず、あらゆるものには「道」が存在します。
そして、「道」には極めるためのしくみ(手順)として、「守破離」があります。
最近はいろんなことを思い立ったらすぐに試してみることができる環境になっていて、「守」の部分、つまり「型」「技」をまず忠実に守って地道に身につける、ということをすっ飛ばしがちです。すっ飛ばしても体裁を繕える小手先のテクニックやツールが溢れているので、それっ「ぽく」なるところまで、大幅にショートカットしがちな人、多いんじゃないかなと思います。
#自戒
ショートカットされて作られたアウトプット。みなさんはお好きですか?それに魅力を感じることって、あるのでしょうか。なんだかんだ、底が透けて見えたり、同じジャンルを極めた目線から見るとペラペラだったりするので、私はあまり惹かれません。へぇ、で終わる感じ。
これは、新しいことにどんどんチャレンジすることを否定しているわけではありません。自分の守備範囲がどんどん広くなっていくことは、この上ない喜びでもあります。でも、結果として先人が作った基本の型を身につけておくことが、すごく大事な気がしているという話です。
ただ、すべてのジャンルにおいて、手軽に試せる時代になっているにもかかわらず、「守」に至っていないアウトプットにはすべて価値がない、と言っているわけでもありません。
私が思うのは、なにか一つのことで「守」を徹底することが大事であるということです。それがあれば、その他の新しいジャンルでは、ある程度ショートカットしてもいいのではとも思っています。
これは、「道」を極める過程には、ある種の普遍性があるのではないかという仮説に基づいています。
極める過程においては、「お手本のようにならないのはなぜか」、「自分のどこがまずいのか」、「うまくできているあの人と何が違うのか」、「いつも同じところで躓くのはなぜか」、「そもそもなんでこのやり方が正しいんだ?」などなど、その道の本質を徹底的に追求したり、自分の特性を掘り下げたり、迷子になって途方に暮れたり、何度やってもダメで地団駄踏みまくったりと、いろんな営みをしまくります。
そしてある日、気づいていたら出来ていたという状態になったり、「あ・・こういうことか・・・」と、腑に落ちる瞬間が来ます。そこで思うんですよね。最短パスなんてないな、と。この試行錯誤と紆余曲折が全部大事だったな、と。一度極めたような気になっても、次の時には出来なくなっていたりして、本質の奥深さ・難しさを感じたりもします。
時代に反して根性論を称賛しているつもりはないので、古臭いと言われそうで嫌ですが、人生において一つは型を極めたものがあるべきだと思います。これだけは自分なりにやりまくった、極めまくった、という経験。それさえあれば、新しいことに手を出すときも、おのずとあの「型を極めるプロセス」が起動して、自分ならではの濃い営みができたりするんじゃないかなと思うのです。そこから作り出されるアウトプットは、めちゃくちゃ魅力的です。なぜなら、過去に型を極めたことで、先人が作り上げた美意識エンジンを内在化させたということに他ならないからです。この曖昧な概念「美意識」こそ、根底に横たわる普遍性とも言えるのではないでしょうか。
生き馬の目を抜くような熾烈な環境で生きる芸人さんが、お笑い以外も多才なことで驚くことが多いのですが、みなさん磨かれているからなんじゃないかと。
相変わらずノウハウ本が出回っているこのご時世ですが、上辺だけをつまんで取り繕っても、魅力は醸せません。もとい、その程度で寄ってくる人もいると思いますが、それは同レベルの浅い魅力で満足できる同類の人ということです。
#同じ視力のメガネをかけている人
#それはそれで幸せか
美意識エンジンが作れると、審美眼も養われます。偽物・本物の区別もつきます。
なんとなく、色々と手を出しがちな私に言ってやりたいのでこれを書きましたが、全体的にそういう浅い感じの人が増えているな、と思います。どれも中途半端で投げ出してるのが、すごくもったいないなと思うのです。色々目移りしてしまう時代ですが、そういうときこそ型を極められるものを見つけたいですよね。なので、仕事に燃えている会社員を社畜とか言って揶揄したりするケースがありますけど、私、ある程度の社畜って大賛成なのです。特に若いうちに自らのめり込んでいる人を見るととても素敵だなと思います。
やはり凡事徹底。地味こそすべて。急がば回れ。なんじゃないかなと思います。
#昭和の頑固おやじ的セリフになってる
#やばい
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