こんばんは。こんにちは。関東も遂に梅雨入りです。
今日はクライアント’sクライアントと会食の予定が入っていたので、さすがに身だしなみをきちんとせねばと、しばらく美容院に行けてないせいで目立ちまくっている白髪を隠すため、出かける前に「黒い粉」をポンポンしました。この「黒い粉」、結構優秀な商品で、自然な感じでカバーできるからたまに使っていたのですが、白髪の目立ち度合いが過ぎたので念入りにポンポンしすぎたせいか、時間が経ったら粉が頭皮に落ち、気づいたらおでこに黒い粉が染み出てきていたのです。おでこの生え際が不自然に真っ黒になっていて、レゴブロック状態。それなのに、白髪にはもはや粉が密着どころか跡形もないという、歴史に残るなんとも痛ましい事故でした。
近い距離で話している時の相手の視線が、なんだか生え際にチラチラ向いている気がして、そっちに視線がいかないように大きく手を降って気をそらしたりして大変でした。
#何してんだ
#小手先で偽ろうとするからこうなる
#早く美容院へ行け
#名古屋のレゴランドはガラ空きらしい…
さて、今日もパツ太郎なので、手近なネタをお送りします。
私は今年、中二病30周年を迎えております。
#ちなみにBUCK-TICKはデビュー35周年です
記念すべきこのアニバーサリーイヤーに、このニュースレターも順調に中二病を継続できており、私としては非常に満足しております。願わくば、これからもずっと続きますように…
#何に祈っているのか
本日は私を中二病にした数々の嗜好品から、下記のルバイヤート(RUBA'IYAT、四行詩のこと)を四つだけ、みなさまと愛でたいと思います。
創世の神秘は君もわれも知らない。
その謎は君やわれには解けない。
何を言い合おうと幕の外のこと、
その幕がおりたらわれらは形もない。
造物主が万物の形をつくり出したそのとき、
なぜとじこめたのであろう、滅亡と不足の中に?
せっかく美しい形をこわすのがわからない、
もしまた美しくなかったらそれは誰の罪?
神のように宇宙が自由に出来たらよかったろうに、
そうしたらこんな宇宙は砕きすてたろうに。
何でも心のままになる自由な宇宙を
別に新しくつくり出したろうに。
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。
'Umar Khaiyam(ウマル・ハイヤーム)
1048年5月18日 - 1131年12月4日 数学、天文学、医学、語学、歴史、哲学などを究めた学者であり、セルジューク朝期ペルシアを代表する大詩人の一人でもある。学問に秀で詩的才能に恵まれた稀有な人物である。生涯にわたり、数学、天文学に関する優れた書を多数執筆した。唯物主義的な傾向を見せた思想家として、イスラム哲学史上有名な人物の一人であった。
4つ目に引用したものがすごく好きで、
善悪は人に生まれついた天性、
苦楽は各自あたえられた天命。
ここまでは、「まぁそうか」と思うのですが
しかし天輪を恨むな、理性の目に見れば、
かれもまたわれらとあわれは同じ。
天輪もまた我々と同じように憐れなのか、と。
中二のときというのは、無為な被害者意識だったり自分だけダメ人間だとか、他の人は幸せそうなのに、と寒い痛い感じで自意識をこじらせがちでした。
しかし、「天輪もまた憐れ」なんだ、と言うわけです。自分だけじゃねーぞバカヤロー!感情的になるんじゃない!と、怒られているというか、諌められているというか、諦めを促しつつも大いに励ましてくれているような、そんな気がして、このルバイヤートは特に好きだったんですよね。今読んでも絶妙な表現だなと味わい深く、私が好きだった理由がよくわかります。
なお天輪というのは、「万物が調和を保っている自然の条理、天の道理、人と人との関係、秩序」という意味だそうです。簡単に言うと周りの人達のことを指していると思いますし、世の中の万物・自然 とも捉えて解釈することができます。つまり、みんな不条理じゃないかと。
ウマル・ハイヤームのルバイヤートは、世の中を不思議で不条理なものとして捉える視座が底辺にあると解釈しています。なので、相当酒と女に溺れてしまうわけですが、そうしながらも胸の内から沸き起こる激情をこうしてルバイヤートに落とし込んで自分を落ち着かせていたのではないかと私は思います。
1092年には、マリク・シャーばかりか、大宰相ニザーム・アル・ムルクの暗殺により、自身の大きな後ろ盾を失い、自らの内的な世界に閉じこもる。無数の抑圧と悲しみを感じ取り、一瞬の解放と忘却を求め、「ワイン」と「美女」を賛仰し、古代イランの栄光に思いを馳せる。しかしながら、哲学的営為の果てに彼がたどり着いた地点が、人間の理解には限界がある、という根本的な懐疑の世界であった可能性がある。哲学的思惟の限界と宗教的抑圧への深い絶望のなかで、「すべては、つかの間の、はかない、危ういものでしかない」という表現が生まれたとすれば、結果として、『ルバイヤート』の映し出す表現世界が、真なる実在である神以外の事物は、すべて陽炎のものでしかない、と説く神秘家たちの表現世界と重なり得るであろう。
人間がこの宇宙万物を理解するのは限界があるけど、その限界を少しずつ突破しようとしてここまでの歴史があります。が、1000年経った今もまだ解明されていないことなんて山のようにあるのでしょう。自分がたまたま生まれたこの時代で過ごす瞬きほどの瞬間、幕が降りたら全て終わり、という唯物主義に陥りすぎると物悲しくなるだけなので、どうしても観念主義の方もかじりたくなります。そのはざまでいつもウロチョロしている私ですが、このやけくそ・なげやり・あきらめみたいなウマルのルバイヤートがとても好きで、「これもまた真なり」と思うわけです。
急にこの詩を思い出したので、みなさんと一緒に愛でてみました。あまり明るいものではないですが、そういう作品は自分の傷を思い起こさせ、逆に生きる活力にもなったりするものらしいです。
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