こんばんは。こんにちは。一週間おつかれさまでした。GW明けの一週間、GWで蓄積した疲労をそのまま仕事に持ち越した方も多かったのでは。そんな方はこの週末はリフレッシュできると良いですね!
本日は昨日の予告通り、シルク・ドゥ・ソレイユを見に行きました。
#「アレグリア」とは歓喜
#生命の閃光
マスクをつけていたのを良いことに、口元が笑っていたり情動で歪んでいたり鼻水が止まらなかったりと、実に久しぶりに一切の言語化を排除させられる喜怒哀楽を揺さぶってくれるサーカスショーでした。言語化は排除されておりますので多くは語れません。6月25日まで東京、7月14日から大阪です。身体のみならず眼もそこそこ肥えている私が太鼓判を押しますが、激アツでオススメです!
今日、Podcast「a scope 資本主義の未来編」の最新話である井上慎平さん編を二つ聞いておりました。
#43 成長を求められる資本主義下で、「弱さ」とどう向き合うか(井上慎平さん編①)
#44 「意義」がないと人材が集められない時代は、もうそこまで来ている(井上慎平さん編②)
#GW中に聞いた宇野さん回も相当やばかったですが今回もやばそう
NewsPicksパブリッシング編集長である井上慎平さんが気になったので調べている中で見つけた下記の記事を読んだとき、能力主義に苛まれていると自覚まではできている自分への、救いの道が見えた気がしたのです。
「何者かになりたい」と焦るあなたへ
能力主義、つまり「高い成果を出した人が多くを得る」しくみは正しいか? 正しいとしたら、それはなぜか?
「努力により能力を高めたから」が、最も一般的な答えだろう。
私はドラゴンボール世代です。私の8割ぐらいはドラゴンボールで出来ています。ドラゴンボールといえば悟空が強くなるために努力しまくっていくストーリーが主軸となっています。戦うたびに強い相手が現れては、瀕死になりながらも努力で打ち勝っていくという価値観です。
#このシーン好き
#ベジータのプライドがたまらない
「落ちこぼれだって必死で努力すりゃエリートを超えることがある」
この考え方はとても素敵です。ベジータの言うように生まれつきの能力に左右されずに努力さえすれば切り開いていける可能性を見せてくれたものです。我々世代のヒーローだと思います。おまけに悟空の修行というのは、「強くなりたいだけで、好きでやっている」がベースなので、とても清々しいんですよね。
ただ、必死で努力することが当たり前として、ジェネレーションXに植え付いている気もしています。まずいのは、それが「好きなもの」を対象とするのではなく、「社会の都合に合わせる」ことにいつしかシフトされてしまっていたというのが、こじらせの主因だったのかな、と思います。
だが、いわゆる「能力の高さ(低さ)」も、かなりのところ偶然による。
ヒトに46本ある染色体のうち、もし21番染色体が3本あったなら、あなたはダウン症だった。
ダウン症は約700人に1人の確率で発症する。あなたは699人の側だっただろうか?僕はそうだった。理由は?
無い。たまたまだ。そもそも数億の精子のうち1個しか卵子にたどりつけない時点で、人類の「生」は根源的に偶然なのだ。
しかしこの「努力」や、その上で培えた「能力」ですが、それができたのも「偶然」だということです。多くの人は自分の人生を肯定しないと立っていられない生き物だと思っています。私もそのうちの一人であり、過去を「起こったことはすべて必然」という文脈に置き換えることで、「唯一無二の私」というアイデンティティを確立させ、傷や痛みを乗り越えて強く生き抜こうとする向きもありました。「Everything happens for a reason」という言葉がずっと好きで、絶望的な出来事が起こっても、それは私を成長させるために起こっているのだ、これを糧にしてまた努力するんだ頑張るぞ…みたいなことを言い聞かせてきました。
しかし井上さんの当該記事、および他の記事も読んでみて、「自分の人生は偶然の連続でたまたまこうなってる(良くも悪くも)」という認識に改めることが、自分を長きに渡ってこじらせている「何者かになりたい欲」から解き放たれるし、何より、世の中の人権問題などを解決するいとぐちになるのではないかと感じたのです。様々な不幸なできごとの要因の一つと思われる能力主義を、私は強く否定してきたのですが、結局私も能力主義に円環的に加担してきた一人だったんだと改めて思うわけです。
ちなみに、ドラゴンボールは努力礼賛だけの作品ではありません。
このシーンは、神様がドラゴンボールなんて代物を作った自分が不幸を招いているということを憂いて自害をしようとしたときに、そんなことはないよと亀仙人のじっちゃんが言った名言です。「過去は必然だった」という意図が強化されているわけではなく、ドラゴンボールを作ったことで生まれた「偶然の災い」もありながら、むしろ「偶然の出会い」への感謝にも満ちています。悟空が強くなれたのは、たまたま色んな出会いがあったから。それもドラゴンボールがなければ起こり得なかったんですよね。
#やっぱドラゴンボールいいよね
全部「たまたま」だと思うことで、感謝の気持ちも湧いてくるし、誰かに生かされているという気持ちにもなれるし、自分の能力がすごくなくても生きていける気もしてくるのです。でも、生き物は生かし生かされ合うという循環を考えると、自分がたまたまできる能力は精一杯磨くとか、好きなことはとことん努力することが重視される世の中になるのが大事ではないかと思いました。
ただ井上さんは、ビジネスにおける「成果」のために必要な「能力」についてもメスを入れています。
「能力」も「成果」も「能力主義」も、あるいはそれらとセットで語られる「評価」や「責任」だって、すべては「お約束」にすぎない。世界の因果関係をシンプルにしか理解できないわたしたちが便宜的に生み出した創作、つまりフィクションだ(ただし、社会を回すのに「効果的」だからこそこのフィクションが生まれ、維持されている事実は軽視してはいけない)。
あなたの人生にとって本当に重要なのは、便宜的に個人に帰属させた「能力」や「成果」というフィクションから、あなた自身の価値を丁寧に切り離して、守っていくことだ。
社会を回すためのフィクション。ここまで視座を上げると私の力では収集がつかなくなるのですが、言いたいことはよくわかり、とても救われました。
能力主義については、下記の過去記事もご参照ください。
いかに、「偶然」と捉えられるかが、自意識をこじらせない鍵で、自分を楽にする方法だと思います。このテーマで対話会やりたくなりました。
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