おはようございます。こんばんは。こんにちは。GW後半に突入です。今日もさわやかな一日でしたが、やはり夜は寒い…ということで寒がりな私はなんと暖房をつけております。
#This is NOT eco
「成功体験」という言葉があります。色んな文脈で使われます。成功体験があると、自分を肯定しやすくなるので、成長の足がかりになります。
私はあまり「成功体験」という言葉が好きではありません。個人の認識として、成功した経験自体、あまり記憶にありません。何かしら目標を設定して、その通りに達成したことがないからかもしれません。過去を振り返ると、受験やら就職やらビジネスやら恋愛やらw、目標達成したことがないんですよね。
#暴露して大丈夫か
ただ、成功かどうかは自己認識の一種だと思うので、ある意味では自分に厳しいだけと言われるかもしれません。でも、私は成功と認識した時点で、生成・発展が終わってしまう気がしてしまうんですよね。
#厳しくしないといけないところで檄甘になっている矛盾を抱えています
チームメンバとして何かしらの実績を残して、社内で賞をもらったとしても、実は当初目標に完璧に届いたという試しはないし、ストーリーを無理やり作ってもらった(頼んでないけど)こともあります。それはそれで、次のチャレンジのためにチームの士気を上げるということが目的になっていたりすることが多いので、その事実からのねじれを否定しているわけではありません。オトナなのでそれぐらいはわかっているつもりです。ただ、自分がマネージャになって、チームの実績をTアップするのはめちゃくちゃうまい自負はあります。
#チームのためにはなんでもできる
株式会社こども会議(仮)を運営している中で、「幼い時は成功体験を積むのが大事」というのを言われたりして、まぁ確かにそうだよなと思います。何かやったことでも成功だ、と言ってあげることが、こどもの自信を芽生えさせて、次のチャレンジ意欲を刺激するというのはその通りだと思います。でも、それも毎回はいらないよなとも思うんですよね。なんでも成功として捉えてあげるべきじゃないと思う私は、もはや老害なのかもしれません。
「成功体験」と同じく、「横展開」という言葉もよく使われます。成功体験を積めたのなら、その時の方法論を類似プロジェクトに展開して、また成功を重ねていくのが効率的・効果的である、という話です。
私はこの言葉も安易に使うのが好きでは有りません。「横展開すればいいよね」「成功したときはどうやったのか教えて」の一言が、思考停止になる懸念を本能的に感じています。なぜなら、仮に成功できていたとして、その要因は個別文脈・個別環境に依るところがとても多いと思うからです。今日の会社設立合宿でも、「成功パターンの再現性を高める」という言葉が出ていました。安易に使うメンバーではないので全く問題ない話ですが、そのニーズこそがMBA的な学問が存在する理由なのかなと思います。科学されたビジネス論を知るのは、とても大事だとも思います。ケーススタディを何個もやることも大事です。サラリーマンをやっていると、そうそうビジネスの全工程に関われるチャンスはありませんので。
「成功パターン」というものが仮にあるとしたら、その個別文脈を掘りに掘り下げることが肝要だと思います。掘りに掘って、地下まで潜っていくと鉱脈が見つかって、「うひゃぁ、こういうことだったのか」という、ある一定の「原則」や、楠木建先生が言うところの「非合理のキラーパス」をサルベージすることができたりします。それは人間の本能だったり、社会科学に起因するものだったり、言語化できない「空気」のようなものだったり、パクるのがクソめんどくさいことだったりします。前職で事業立ち上げしたチームでは、自分たちの小さな実績をモデルケースに、その鉱脈が見つかるまで掘りまくったことがありましたが、相当大変でした。でも、そこまで掘ったからこそ、見えてきたものがありました。でも、その見えてきたキラーパスの部分だけを手っ取り早く他者に共有しても、絶対伝わらないんですよね。
横展開すべきなのは、その「堀りに掘り下げる度合い」と「文脈そのもの」、そして「そこで得た非合理な原理原則」なのではないかと考えます。ビジネスで辛酸なめ子や辛酸なめ雄になったことがある人には、そのナラティブを共有することができて、ものすごく話が早いのですが、辛酸なめてない子や辛酸なめてない雄と仕事をする時に、その「度合い」の共有が全くできないことがあります。なぜ話が噛み合わないのだろう?と不思議に思うと、大体そういう方が多い。もちろん、辛酸を舐めたり舐めてないとか、泥水を吸ったり吸ってないとかは、過去の経験や出会いやめぐり合わせに依ってしまうところなので、舐めたり吸ったりしてなくてもその人が無能であるというわけではありません。ただ、ミドルエイジになった時に致命的になるのは、「掘ってこれてないこと」に自覚的ではないケースだと思います。
私は、これこそがアンラーニングが叫ばれている理由なのではないかと考えています。
自覚ができている人はものすごく素直だし謙虚なので、他者の意見をスポンジのように吸収する姿勢が基本なので、全く問題ないと思っています。「こうでこうでこうだからこう」の文脈をよだれを垂らして聞いてくれます。そうではなく、軽い(失礼)成功体験を積んで掘らないままにしがみついて離れてくれない人は、しち面倒くさい成功の文脈を「面倒なこと言ってるわ」と言って、ハナから取り合ってくれません。いろんな人と仕事していて、その差が如実にわかるようになってきました。一方で、過去に舐めて吸って掘って来た人は、その文脈の話に驚くほど食いつくし、観点が鋭いし、こちらがしどろもどろになるほど、更に掘り下げてきます。
#たまに困りますw
#もっと掘りたい欲にびびる
#掘られすぎて説明不能になったりする
ただ、私も当然ながら、掘りが甘いとか泥水の吸い方が甘いジャンルは山のようにあります。過去の文脈を応用できないシーンの方が圧倒的に多いです。だからこそ、謙虚であり続けないといけないと、常に自分を戒めています。間違っても天狗にならないために、全く門外漢の仕事を敢えてやっています。過去の経験値がほぼ役に立たないジャンルで仕事をするのは、非常に痺れるし、「世の中つええやつがいっぱいいるんだな!オラわくわくすっぞ」と悟空のきもちになれます。
#This is NOT ヘッドスパ
#7年に一度ぐらいの周期でそういう欲望が起こる
#サイヤ人の血かも
一介の仕事人の基本義務として己の持論を表明はするものの、意見が否定されたときにはその理由を聞いて掘り下げていき、他者の持論のナラティブからエッセンスやキラーパスを貪欲に学びたいと思っています。すごい面白いので掘り下げずにはおれないのですが(聞いたからと言って簡単に真似できるようなものは殆どないのですが)、それは私が好奇心のカタマリだからであり、世の中にはそうでもない人もいるんですよね。
あと、ここでの否定の仕方も人によって違いがあります。さわやかにフラットに否定してくる人と、わざわざ真っ向から力強くマウントしてくる人の2種類が存在します。後者の人に出会うと、その理由を掘り下げる意欲もなくなるので(頑張って掘り下げたところであまり気づきがないことも多いので)、なるべく早くその場(人)から離れたくなります。すごいなぁと思う人ほど、マウントには程遠い印象があります。
#あなたは一体何に怯えているの
#まるで迷子のキツネリスのよう
#©風の谷のナウシカ
会社を作るという話をしましたが、まさに未経験領域そのものです。わからない・知らないことばかりです。何を知らないかも知りません。でも、これから新たな文脈が沢山作られていきます。そこには、可能性しかありません。最初のうちはとにかくトライ&エラー&エラー&エラーになるでしょう。最初から成功体験なんてしてないのだから、可能性しかない。ほんの少しの成功を作るために、真っ白なキャンバスに原色を載せまくるだけです。いつかそれが面白いアートになり、文脈が生まれていくはずです。個別の物語です。おもろい仲間とともに、また応援団とともに、紆余曲折できるといいなと思います。Be water with me, my friends!
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「謙虚であり続けないといけないと、常に自分を戒めています」という文章にすごく共感します。
「横展開」の話から少しそれますが、人から間違いとかを指摘されたときにこそ、その意見を聞かないといけないなと。言われるうちが花。そのためにも謙虚であり続けたいと思います。