こんばんは。今日の関東は暑かった。GWのお天気も期待してしまいますね!
今日は午前中に商談をしたのち、私に大きな影響を与えてくれたフリーランス2名様と会いました。なんとなく今日のキーワードは「言語化」です。
「ああ、言語化ができない…」。みなさんもこんな風に歯がゆく思う場面に遭遇しませんか。最近の私はそう思うことが多いです。
いにしえの日本は、言語化できない美的感覚が大事にされてきました。江戸時代に本居宣長が提唱した「もののあはれ」です。高校で習いましたが、この言葉を知ったあの時から、確かにぼんやりとした何かしらの感覚をそのまま知覚して感慨に染み入ることができるようになったような気がします。言語化できない感覚を一言で言語化するという技術。とんでもない人が日本には沢山いました。
「もののあはれ」
折に触れ、目に見、耳に聞くものごとに触発されて生ずる、しみじみとした情趣や、無常観的な哀愁
こういった日本的な情緒が、戦後に「西洋」が導入され高度成長期を経て、ことごとく喪失されてしまったと言われています。わかりやすく情報として整理しやすいことや合理的でシンプルで無駄がないことが賞賛され、そのおかげで生活水準も豊かになりました。しかし、今ポスト資本主義の議論とともに逆流しつつある、と思っています。
言語化しにくい情緒を言語化していくことは並大抵の技術では難しいとつくづく感じます。言語化しようと試みると言葉が稚拙すぎて興ざめしてしまうこともあったり、全容を説明できずに何も伝わらないということがあります。
個人的には、これからの未来の社会をみんなで作り上げていくために、そして自分の人生を豊かにしたり楽しくしていくためには、様々な場面において言語化する力がとても重要になると確信しています。もちろん言語ではなく絵や音楽、または言語でも行間と奥行きを読ませる詩など、様々な表現方法はあります。行動で示すという方法もあります。が、いずれも受け手の解釈と想像に委ねられるため、感覚主体・思考主体の意向は完全には伝わらないでしょう。
#アートはそういうことでもよい
#好きに感じるも◎
そもそも「わかりあえない」のが人間ですが、最初からわかりあえないと諦めるのではなく、どう言葉を紡げばこの事柄や情緒が伝わるか、と言葉の力を磨く必要があると感じます。
ここ最近、携わっている様々なプロジェクトにおいて、「周縁にある、目に見える行動(具体的に何をしているのか)の部分だけは言語化ができている。しかし、その中で渦巻いて発生している事象を説明ができていない。なんだかよくわからないけど、素晴らしいことが起こっている」と気づいたことがあります。しかし、その「中で起こっていること」を言語化できず、伝えられないのです。私はよく困ると「化学反応が起こっている」という手垢のついた言葉で代替してしまうのですが、そんな稚拙な言葉では全く伝っていないだろうなと感じます。
敢えて言語化をしなくても、周縁の事柄や事象を表す言葉だけで「中で起こっていること」が伝わるときもありますが、それはナラティブが十分に共有されている関係性に限定されると思います。私達には遠い人にそれを伝えることが必要である場合も多く、伝わらないことで関係性が薄くなるようなことも多いなと感じています。それが、とてももったいないんですよね。
人間関係でも恋愛関係でも、あらゆる関係性において、最近は「何故これが良いことなのか」「何故これが悪いことなのか」という、とある価値観を前提とした議論をするときも、その理由が伝わらないという話を、最近もしました。
#「伝わらないよね!!涙」ということはめちゃくちゃ伝わる
日本人は日本語の漢字・かなや文法の特性から、あいまいでぼんやりしたものを知覚できる民族だと思っており、そのおかげで文化的な豊かさが深まるという良さもある一方で、もちろん至極不便でまわりくどい複雑さが併存します。本来の日本(日本語)が持っている”豊かさ”や”美しさ”が、現代のデジタル社会には合いづらいのかもしれません。今は西洋式のデジタル化が優先される傾向にありますので、ともすれば極端なプログラミング的思考やロジック至上主義に偏重していくと思われます。そうやって頭だけで考えて作ったしくみというのは、合理的に動いているようにみえて、そのしくみに乗って生活する日本人の五感に馴染まなかったり、継続性が低かったりもするでしょう。
#だから一周回って英語も難しく感じる
IT業界ではよく「業務にしくみを合わせる」のではなく「しくみに業務を合わせる」ことが良いこととされていますが、実際後者を前提にして進めて、うまくいっているケースはあまり見たことがありません。舶来品のサービスがカスタマイズだらけになるのは、構築する人のオーナーシップのせいもありますが、そもそも合うわけがないし、基本的には今後も合わないかもしれません。そして、何故合わないのか?ということがまた言語化して外国人に説明できないこのもどかしさよ…。どうしたらよいでしょうか。
今日は問題提起だけですが、ゴールデンウィークは心置きなく日本語のインプットをしたいと思います。うまく言語化している識者の表現などを真似るのが一番近道な気がします。文学を読んで「もののあはれ」に染み入りたいというよりは、「もののあはれ」と本居宣長が表現したような「奥行き」のある事象や情緒を、しっかり言語化していくことが、とても前衛的になるんじゃないかな、と感じています。
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