こんにちは。株式会社こども会議(仮)二子玉川事業所の帰りです。このこども会議、普段の大人社会の労働とはまたひと味もふた味も違う難しさで、毎回頭から何かを捻り出しています。1時間半から2時間の会議を月1回リアルで集まってやっているのですが、毎回終了後は魂が抜けたような状態になるほど、何かが難しいです。今日はサポート隊の方が参加してくれたおかげで、酸欠にならずに時折小休止できて笑、大変助かっております。ありがたい。
こども会議では、いつもおとなしく座って会議してもらうのは面白くないのと、まだリアルでは距離感が遠いこどもも見受けられるため、会議の前に体を動かすために近所を視察に行ったりしているのですが、今日は思い切ってゲームをやることにしました。
#おしごとなのにゲームしていいんですかー
#大人語ではチームビルディングと言います
ゲームの名は なんじゃもんじゃ。
先日、二子玉川の社員さん(6)と別件で会う機会があり、その方から教えていただきました。そして、次の会議でなんじゃもんじゃを2チームに分けてやるのはどうかというご提案があったので、取り入れさせてもらうことにしたというわけです。
頭と手足だけの謎生物ナンジャモンジャ族が描かれたカードが中央の場に次々とめくられるたびに、その人のセンスで特徴を捉えた名前を付け、それを全員で覚え、以降、めくられたらその名前をいち早く叫ぶことで溜まったカードを獲得し、集めた枚数を競うゲームです。
ちなみに、ロシア発のゲーム。バカ売れしています。
なぜ取り入れようと思ったかというと、私も実際に遊んでみたときにものすごい盛り上がって強烈に熱が上がったのと、4歳から遊べるということだったので、まさにこどもから大人まで楽しめる素晴らしいゲームだと感動したのです。
#おしゃれなレストランでやって、見事に大声を出してしまった
で、月1の会議だとなかなか距離の縮まりにくい社員さん同士も、ゲームで一気に距離が近づくだろうという下心もありました。
2チームに分けてやってもらったのですが、各チームの様子が正反対で、非常に興味深かったのです。Aチームは大声と歓声が飛び交い、普段はあまり大きな声を出さないような人も悲鳴をあげ、一帯の温度が急激にあがっているのがわかるほどの熱狂。一方でBチームは盛り上がりに欠けていて、何かがたどたどしく、もう一方のチームと比較して盛り上がっていない状態を自分たちで歯がゆく思う発言。途中で席を外す人まで。
このコントラストが面白いなと思いました。これは人間社会の原理に近いのではないかと思い、客観的に傍から見て気づいたことを汎化して書きます。途中でチーム編成を変えたかったのですが、1サイクル終わるまでにてんやわんやでだいぶ時間がかかったので、1パターンしかできず、あらゆる視点で検証できているわけではありません。
盛り上がっていたチーム編成
普段から臆せず発言する人、開口一番タイプが多い
参加者の半数が盛り上がると、その勢いに押されて残りの半数も盛り上がる
ルールは最初からよくわからない状態なのに進む、そしてルールが都度改変されていく
集中力がある人が多い
盛り上がらなかったチーム編成
ルールをよく理解している人が複数いて、ルール理解に差異があるとそこで対立して進まない
ルールが理解できない若手に対するサポートが欠ける
「なんであっちは盛り上がってうちはつまらないんだ」と発言し、メンバーが凍る
面白いアイデアがあっても、難しいと却下する(乗ってみない)
自ら口火を切って意見を言うタイプより、人の話を聞いて反応するタイプが多い
このゲームで盛り上がった後に会議をしたのですが、普段よりも意見の量はやや微増したし、「おおっ!」と驚く鋭い観点も出てきてよかったのですが、おとなしい人はゲームやってもおとなしいまま、、ということで、まぁそう一筋縄ではいきませんね。
#ちなみに発言が得意ではないけど絵では意見を書ける人もいたりするので、普段はそういう時間も取っているのですが、今日はなんじゃもんじゃを1サイクル回すのが思いのほか伸びてしまい絵を書く時間がなかった…無念
みんなが盛り上がればいいってもんじゃないですが(いや盛り上がるといいなと思ってやってみたのは事実ですが)、せっかくの時間を作って来てくれている会議が、つまんないなと思わせてしまったBチームには申し訳なかったと思います。
#すべては拙者の不徳といたすところ
大人の世界では、仕事のメンバー編成ってとても重要で成果に影響しますよね。ただこどもたちに対しては、いやこのこども会議の場では、狙ったり、こどもの可能性を勝手に見極めて「ここまでは難しいだろう」と前もって配慮しすぎるというようなコントロールをしたくはないし、全員がそれぞれの個性のもとで何かに熱中できる状態になると良いなと思うのです。そういう配慮はしているつもりです。一方で、いろんな年代が入り乱れている中なので、「多様な社会」というものを感じて、怖いなぁと思ったり、逆に楽しい発見があったり、また自分の得意や苦手がわかったりするといいんだけどなと思います。一人ひとりどう思っているか、今度聞いてみようかな(1on1)。”元気いっぱいのこども”というステレオタイプを押し付けるつもりは一切ありませんが、元気じゃないより元気になってくれると嬉しいのも本心ではあります。難しいものですね。
まるで現代社会の縮図を見ている気分になります。こどもにもれっきとした社会があります。そして周りの人をよく見ているし、状況もしっかり理解をしている。大人社会のおかしなルールが意外にも強く根付いてしまっている。
というのも、発言しない人も、一人ひとりに後からこっそり聞くとめちゃくちゃしっかりとした考えを持っている。意見がないわけではなく、発言をしないんですね。おそらく、意図的に。
これ、すごく重要な問題だと思っています。ここをこじらせると結構長引くので、できれば幼い頃に手を打っておいた方がよいと思っています。なんせ、私が長引いたので…。
なぜ意見を言わないのか
一つの原因として、どうしても、ベクトルが自分に向いていると、「恥ずかしいから言えない」「間違ってたら嫌だから言わない」「意見が無視されたら怖いから言えない」という風になります。
しかし、怖かったとしても、「怖くても言う」ということがものすごく大事だと私は思います。
なぜなら、誰かが初めに「何か」を言わない限り、切り刻まれに行かない限り、世の中はずっと何も変わらないからです。
何も言わないと、何も変わらないからです。
#重要
何かを発言して、周りからメタメタに切り刻まれるかもしれないけど、それ自体が既に価値を作っているわけです。人の数だけ視点も意見も違います。その違いを理解することでしか、モノゴトの質は高まっていきません。
だから、「怖くても発言する人」が支持されるんだと私は思います。
最近は「炎上」が頻繁に起こりますが、「批判されることが怖くないから発言している」という人はごくごく少数で、みんな少なからず怖いはずです。でも、「怖くても言わないと何も生まれない」とわかっているから、意見を言う。社会が良くなっていかないとわかっているから、意見を言う。合ってるとか間違っているとか、恥ずかしいとか、そういう自尊心はどうでもいい。批判されたっていいと、切り刻まれに行く覚悟。それが社会としての価値。良いアイデアばかりが価値ではないのです。
逆に、全員が「怖いから発言しない」となったら、世の中は成立しません。みんな同じように悩むし、怖いし、辛い。それを押し殺して乗り越えて生きている。「怖いから発言しない」をみんなが実行したら、何も起こりません。
もっと極端な話、自分が「自分の力だけで生きている」と思ってしまうと、「自分はできるんだ」という自信に執着し続けたくなるし、良い意見を言わないとかっこ悪いと思ってしまいます。そうなると逆に切り刻まれる勇気が持てなくなります。小さい頃から周りから与えられて育つと、そうなってしまいがちです。そうじゃなくて、自分はもちろん誰かを救っているし、誰かが自分を救ってくれている。自分は生きているのではなく、生かされている。その原理原則に気づかない限り、自分の意見を言うのが怖いという心理は変えられないんじゃないかなと思います。ずっと否定されることがない、なんてありえないですからね。
価値があるのは意見をちゃんと言うことで、内容の良し悪しじゃないって、本気で思っています。
一人の力なんてたかが知れていて、社会はみんなで作り上げていくものです。そのときに、自分の意見に自信を持つことはスタート地点として大事なのですが、意見が拮抗したときについ他者を押しのけたい心理も働くし、なんで私のアイデアじゃダメなの?という気持ちにもなります。なんなら、自信がなくても発言する方がいい。しかし、培った自信の先を他者との優劣比較だけに持っていくのは、比較できないことを比較しているようなものです。自分の意見やアウトプットには磨きをかけつつ、上記の「生かし生かされている」という原理原則のもと、他者の意見も同時にひっぱりあげる。一人の力では何もできないということがわかっている人こそ、人をリスペクトできるし、怖くても自分の意見も言えるようになるし、人の意見をひっぱってよりよいものを生み出せるんだと思うんですけどね。
だから、単なる批評ではなく、自分の意見を言う人、つまり問題ではなく課題にフォーカスできる人というのは、たとえどんな内容であったとしても、これまでの勇気と貢献にリスペクトしかないわけですよ、私は。
ナンジャモンジャをやった結果の2チームの差異から、色々偉そうに書きましたが、何を隠そうこの「ベクトルがどこに向いているか」の話は、ここ十年ぐらい私がずっと苦悩してこじらせ続けてきたことでもあります。今でもベクトルが自分に向いていると気づく時がありますし、そんな自分に気づいて最悪だなと思うことが沢山あります。時折思い出すことで自分の傲慢さを戒めています。さらに最近は「意見を控える」という選択肢を頻繁に取ってしまうことがあります。布団かぶって厄介事をやり過ごすほどの悪はない。このPostも戒めのために書きました。私のようにこどもたちがこじらせないといいなと思って、何ができるだろう(ナンジャモンジャの他に…)と思考を巡らせております。
明日から月曜日。一週間が始まります。生かし生かされている私たち。
Let's go willingly to be cut to pieces!(英語合ってるかなw
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