こんばんは。なんだか今日もモーレツに仕事をしていたらあっという間に夜です。一昨日買ったオトナのおもちゃは、まだ開封してませんよ…オトナなので、このぐらい我慢できるようになりました。
そして昨日のPodcastボブシリーズについては、やはり各界より大きな反響を頂いております。ありがとうございます。
「頑張れボブ!!!バツイチにチェック入れて引き続きマッチせよ!!!」
→ボブはわかってないみたいです。厳しく言っておきましたが、理解の態度を示していません。
→ボブに伝えましたが、「このパターン、旦那無理してないんですかね・・・」とかまた身の程をわきまえないことをのたまってました。
「結婚を焦る女子とか…
結婚って…全然ゴールじゃないっすよ…🧟♀️🧟♀️🧟♀️(当社比)」
→ただ、スタートラインにも立ってないっすからね…(白目)
「渋谷でおでんといえば汁べえでしょ。」
→ですよね笑!!よかった。さすが渋谷王子。
みなさんはいつからインターネットを使っていましたか?私はちょうど高校2年ぐらいの時に、父が所有していたマシンのWindows95を夜中にこっそりいじったのが初めてだったような記憶があります(わけもわからず触っていて、後でものすごい怒られた)が、ブラウザを立ち上げてWorld Wide Webにアクセスできたのはおそらく1996年か1997年か、そのあたりです。大学入学が1997年4月で、その時には大学にインターネットにつながるPCがあり、入学とともに大学名がドメインの個人メールアドレスも配布されて、くだらないメールを交換していた記憶があります。
その後、大学2年ぐらいの時に先輩に、ホームページを開設したからいずたんもやってみなよと言われて、その先輩のホームページがとても素敵で、私も憧れて、見様見真似でHTMLをかじり、ホームページを作りました。
そう、ジオシティーズを使って。
#覚えていますか
ジオシティーズ社が開始、運営していたサービスであり、ウェブサイトの無料スペースとしては先駆け的な存在である。1996年の売上高はおよそ5万ドルで、その1年後の1997年には500万ドルというように、当時その成長には目を見張るものがあった。1997年6月にソフトバンクと合弁で日本法人のジオシティーズ株式会社が設立され、同年9月にジオシティーズの日本語版サービスが開始した。
当時のことを思い出すのは難しいのですが、本当に明け透けすぎる・そしてもちろん中2すぎる恥部そのものの自己紹介ホームページを作っていた記憶があります。当時は厨二病なんていう言葉はありませんでしたので、これがどれほど中2だったのか、当時は知る由もありません。相互リンクという文化があって、友達のホームページとリンクを載せあったり、BBSという掲示板機能を使って友達に書き込みをしてもらったり、ICQというチャットツールを搭載してオンラインチャットでキャッキャしていたことを思い出します。
すごい事件も起こりました。私が小4の頃から熱を入れていた台湾のキッズ向けカンフー映画があり、そこに出ていたキッズ俳優の左孝虎さんのことがしばらく好きすぎて、その人のことを滔々と語るページを作ったんですね。黎明期の当時、ホームページを作る側の人はまだ少数派で、しょうもない内容だったと思いますが、左さんのファン界隈では結構有名になってしまい、台湾在住の日本人の方からメールを頂き、日本では絶対に手に入らない非売品グッズや、なぜ持っていたのかわからない左さんのプライベート写真とか笑、その左さん本人が作った謎の工作品とかを大量に譲ってもらったことがあります。もうファンとしては垂涎必至モノです。すごくないですか?インターネットを介して愛を発信することで世界が広がるんだと感動したことがあります。
ジオシティーズはサービス終了となり、ホームページ自体も同時に閉鎖されているので、アクセスはできません。
#よかった
…と思ったのですが、つい出来心で調べてみたら、なんと世界中のウェブページをご丁寧に勝手にバックアップを取っているサイトがあるらしいんですよね…。
ただ、当時のURLがわからないと調査ができません。それはさすがに覚えてないわと思いましたが、試しに私の当時のホームページのタイトル(もう恥ずかしすぎて書けない)をGoogleで検索したところ、なぜか!!私のページのリンクを貼っているサイトがあり、URLも判明したので、ドキドキしながら調べてみました。
出てきましたよ、ありえないほどの黒歴史が。
稚拙なホームページに低次元の文章。文末に(笑)と書いてあるけど全く面白くない。
#それは今も変わらない
チカチカするGIFのバナー。
なぜか流れてくる文字。
ICQのオンライン/オフラインステータス。
来訪者カウンター。
#キリ番ゲットした人はBBSに書き込む文化
今見ると黒歴史なわけですが、当時の自分はかなり最先端だと思ってデザイン性にもこだわって作っていました。
いろんな意味で震えながら自己紹介や日記も読んでみました。恐ろしい。実に恐ろしい。なぜこんな無防備にくだらない個人情報を晒しているのか。何の目的で?
1998年、1999年あたりの内容でしたが、今の大学生の方々とは比類なき低次元で、よくこれで生きてたなと、自分のそれなりの生命力の高さに妙に関心してしまいました。
そして、今と書いている方向性が全く変わらない…という事実に戦慄しております。
「私の混沌的調和の世界だ」と言って謎の抽象画を載せていて、でも「誰も理解してくれない」とか自暴自棄になっていたり、BUCK-TICKの素晴らしさを切々と押し付けて綴ったり、日記の更新が続かない私はダメな人間だと嘆いていたり、とにかく20年以上経ってもほぼ同じことしか考えてないことが実証されたので、多分これから20年後もあまり趣味趣向は変わらないんだなと思うと、本当に中2の時に出会ったものが人生のすべてに関わると思います。
お年頃のお子さんがいらっしゃる皆様、何卒ご留意ください。
今日のニュースレターのまとめです。
愛を発信すると世界が広がる
インターネットに一度載せた過去は、消したくても消せない
中2で出会ったものが一生を左右する
自分で「(笑)」と書いたのを後から読むと寒気がする
我がホームページに流行を先取りしている写真があって笑ったので、記念に載せて終わります。1999年に台湾でタピオカミルクティーを飲んでご満悦。この時、あまりの美味しさに感動したんですよね。
珍珠奶茶。台湾に行くたびにこれを飲むのが楽しみでした。
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