こんばんは。ハッピー火曜日!いかがお過ごしですか?
今日は朝イチで東京まで出て、行きすがらの電車のサイネージにまた松本零士先生の訃報ニュースが流れて泣き、ウルウルしながら仕事を済ませた後、午後は文鳥(漢)の爪切りをしに、日本一予約の取れない「横浜小鳥の病院」に行ってきました。私には車がないので(あっても運転できないので)、公共交通網で行く必要があります。運搬用の鳥かごにカイロを敷き詰めて、寒風吹きすさぶ中凍えながら文鳥を丁重に運んで病院にたどり着き、遂に爪切りに成功しました!弊文鳥の担当医(がつくんですよ、すごいでしょ)の手腕が鮮やかすぎて、ウットリしていると1分も経たないうちにきれいに爪切りされて終わってしまう。保定(鳥を安全に手で固定する)のコツを盗みたくてもウットリしたまま何も学んでこないという、そういう状況です。
帰りは電車のラッシュ時間帯なので、途中からタクシーに乗ったのですが、タクシーのサイネージで今度は前職の広告がいきなりじゃじゃーんと流れて、入社以来会ってない同期が出演してたりして、無意味にドギマギしてしまいました。
#ビ●リーチでの広告
#人材獲得競争こそ会社の生命線…
夜になって更に冷え込んできました。そんな夜を温めうる楽しい話をしたいなと色々考えているうちに、“認識”の問題について、最近仕事をしていて思うことがあり、ちょうど家にあった「構造構成主義」の超メタ理論本も手にとりつつ、現段階で整理できたことを書きたいと思います。
「正しさ」の対立
人間にとっての「正しさ」とはなんでしょうか。なぜ世の中に多様な世界像や世界観が生じ、「正しさ」についての信念の対立が起こるのでしょうか。
現在のウクライナwithNATOとロシアの対立などを思い出すとわかりやすいですが、そこまでいかなくても、私たちの日常生活や仕事において、人間同士の正しさの対立は沢山起こっています。私も、自分の中で正しさを主張しようとしているときがあったり、いやいや、これは私の単なる一意見だから主張はやめようと踏みとどまったりと、色々な葛藤が日々蠢いています。
このような正しさの対立は、種類として下記3パターンに収束されるようです。
①どちらかが正しいとする思考
どこかに正しい世界像が一つ存在していて、自分の世界像こそ絶対に正しいと確信を持っているからこそ、相手は間違っていると考える。
②どれも間違っていて正しい考えはどこか他にあるとする思考
どれも間違っていて正しい考えはどこか他にあり、だから相手は間違っていると考える。
③正しい世界像など存在せず、「強力な世界観」が存在するだけとする思考
最初から正しい世界観など存在しないので何でもアリ。自分がやりたいようにやればいい。その結果、正しいかどうかは強者の論理がまかり通る。主張の質が問題ではなくなり、政治的なパワーゲームに陥り、より”力”を持つ人の意見が通る。
これまでにいろんな組織を見たり、いろんな人と議論したりしてきましたが、①〜③どれも入り混じっているなという気がします。ただ、私の経験からすると、③に出くわすシーンが多いかもしれません。法人営業などをやっているせいかもしれません。むしろ③を前提に作戦を練ったりすることはセオリーだったりします。
#決裁権者を捕まえろ、というやつ
#トップ営業しろ、というやつ
ただ、こんなことをやっていると、一向に対立自体は消えないし、創造的・建設的な議論ではなくなり、その場に関与している個人も、面白くなくなります。
対立を超克する方法
この対立を超克する方法として、下記の提案がなされていました。
一度自らの正しさについては「括弧に入れて」、戦略的に「判断中止」する。
「自分こそ正しいと思うけど、それはまぁいったん置いておこう」
そして「判断中止」をした上で、自ら考える「正しさ」を還元する。
「その正しさはなぜ、どのような経験により自分に生じてきたのか?」
「還元」というのは、自らの正しさの確信に至った成立条件を解き明かしていくことであり、同時に「相手は、私がAを正しいと思っているのと同じぐらい、Bが正しいと思っているようだが、どうしてそのような異なる確信が生まれたのだろう?」と問いを立てることです。
これは、直接相手に問いただす(突きつける)ものではなく、こうした問いを自分の中で立てた上で、相手との対話を続ける、という意味です。これにより、「正しさ」についての信念の対立が起こっている「意味」が明らかになります。すると次は、議論のテーマ設定のやり方自体を変更することができ、更に「認識」自体が存在する意味そのものを作り変えることによって、予想していなかった大きな価値を生み出すこともできる、とありました。
ベクトルが変わる。自分に矢印が向かなくなる。そうすると、相手というものが存在する意味が再構成されて、新たな探求目標ができるんですね。
#対立する敵ではなくなる
この方法をとったところで、これで相互理解ができるよ、なんていうことはないと思いますが、少なくとも、それぞれが抱えてしまう対立に対するストレスを内側から解消することができ、より建設的な議論につなげることができるのではないかと思いました。
「この人は、Bが正しいと思っているようだけど、どうしてそう思うに至ったのかな?」
こうして、一呼吸置くだけでかなり変わると思います。
私の場合は、自分がこだわってきたものほど、反論されると「ナニクソ!」と思ってしまいがちです(言わないけど)。ただ、「こだわり」が自分の視野を狭めるとも自覚しているし、「こだわり」こそが大事だとも思っているので、思い切り対立したときに、どうしたものか、、と思ったりしていましたが、「判断中止」と「還元」の2つを取り入れると、ヘルシーでフラットで、よりクリエイティブでいられそうな気がしてきました。
この話、NVCにも通じるかもしれないですね。
明日、また認識の対立がありそうなのでw、さっそく実行してみます。
#覚えていたら…
ちなみに、ロシアとウクライナの件も同じで、ウクライナ寄りになってしまう半西側諸国の日本人ですが、ロシア側がなぜこんなこと非道なことをしているのか、という経緯をとにかく掘っていくと、いろんな情報が出てきたり新しい視点を得ることも出きたりするので、もちろん言わずもがな、武力で民間人を殺傷するのは断じて許されることではないですが、そして双方の言い分について事実なのかどうかは怪しいと思いつつも、ちょっと見え方が変わってきます。
ただ、TVやメディアは有無を言わさずに西寄りになっているので、そのシャワーを浴びている自分に、だんだんと気持ち悪さと危機感を感じるようにもなってきました。
という私のささやかな主張に反対の方もいらっしゃると思います笑。こういうのが、本当に多角的に対話できるようになると、いいんですけどね。
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