こんばんは。岡山に向かう道中です。最近まとまった読書の時間を取れていないので、今回の新幹線の中では読書をすることにしました。ただ、スマホであれやこれや通知がくると集中力が削がれたり、しまいには心地よい揺れで居眠りしたりして、、まぁ結果50ページぐらい読み進んだので良かったです。
読んでいたのは「暇と退屈の倫理学」でした。まだ読み終えていないのですが、この本のテーマは、「私たち、過去の人びとと比べたら相当ヒマになっちゃったけど、どうやって生きていく?」という話です。
資本主義の全面展開によって、少なくとも先進国の人々は裕福になった。そして暇を得た。だが、暇を得た人びとは、その暇をどう使ってよいかわからない。自分の好きなことが何なのかわからない。
そこに資本主義がつけこむ。文化産業が、既成の楽しみ、産業に都合のよい楽しみを人々に提供する。かつては労働者の労働力が搾取されていると盛んに言われた。いまでは、むしろ労働者の暇が搾取されている。なぜか。それは人が退屈することを嫌うからである。
暇の中で、いかに生きるべきか?
まえがきの部分でこの問題提起がなされます。私も資本主義につけこまれていて、延々と海外ドラマを見て時間を溶かしてしまうタイプです。そうかと思えば、こんなこと言ったら嫌われるかもしれませんが、ディズニーランドとか観光地とか、ああいうわかりやすく作られたものって実はあまり好きじゃありません。好みは人それぞれですが、産業に楽しませてもらっているのは確かですし、同時にそれを仕掛けようとしている側でもありますよね。
このまえがきのあと、暇と退屈問題が出るに至った人類の歴史をさかのぼっていきます。文化人類学以前のホモサピエンスの本能的生活の流れを追えるので、めちゃくちゃおもしろい。退屈の問題に向き合った思想家は多く、それらを引用しながら、最適解を求めていく論文のような作品です。まだ結論はわかりませんが、途中で出てくるパスカルの「熱中できること」説、ウィリアム・モリスの「生活を飾ること」説、ラッセルの「興奮できること」説、色々あります。作者の國分先生はどれも不十分であると否定されていましたが、果たして國分先生はどう結論を導くか。
ところで御存知の通り私は万年厨二病なので、世界の偉人の名言を見たり、エモい詩などを読むのがすごく好きです。ビジネスでも、名言を引用してピッチする人も結構多かったりして、みんな悦に入っちゃってんなーとニヤニヤ思う時がありますが、私も他聞に漏れず好きで、思いがけず心を動かすものに出会うと、切り取って壁に貼りたくなります。
さっき、2012年ぐらいにちょっとだけしたためていたブログに「コメントがつきました」と謎の通知が来たので、10年ぶりにブログにアクセスをしてしばらく自分が書いたものを読んでいたら、当時の自分が引用(笑)していた散文詩を発見し、今読むと、おそらく当時とは違う形で高揚しました。10年前もあまり変わらない私の好み。
#万年厨二病
常に酔っていなければならぬ。
それがすべてだ、問題はそれしかない。
君の肩を押しひしぎ、
君を地べたに屈ませる「時間」の 恐るべき重荷を感じたくなかったら、
休む暇なく、酔い続けなければならぬ。
しかし、何に?
酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように。
だがとにかく酔いたまえ。
そして、もしもときたま、
宮殿の石段の上で、
掘割の緑の草の上で、
君の部屋の陰鬱な孤独の中で、
君が目を覚まし、酔いがすでに薄れたり消えたりしていたら、
訊ねるがいい。
風に、波に、星に、鳥に、時計に、
およそ移ろうもの、およそ呻くもの、
およそめぐるもの、およそ歌うもの、
およそ語るもののすべてに、
訊ねるがいい。
いまは何時かと。
すると、風も、波も、星も、鳥も、時計も、君に答えるだろう、
「いまは酔うべき時!
『時間』の奴隷として虐げられたくなかったら、
酔いたまえ、絶えず酔いたまえ!
酒にでも、詩にでも美徳にでも、お好きなように。」
と。作:シャルル・ボードレール『酔いたまえ』
「酔う」とは、もちろんお酒を飲んでアルコールが身体中を満たすという意味の言葉です。私はお酒がほぼ飲めないので、酔って気持ちよくなる、というのが、どんな感じなのか経験したことがありません。
#車にはすごく酔う
ただ辞書では
酔う:
そのことに心を奪われてうっとりする。また、自制心を失う。
という意味もあり、つまり夢中になる、没頭する、ときめく、とか、いろんな意味があることに気づきます。
何かに思い切り酔えるというのは、私は本当に幸せなことだと思います。何かにドハマリしていたり、目の前のことに必死になったり、ぞーんに入って時間も忘れたりできることさえあれば、私は多幸感を得られます。みなさんはいかがでしょうか。自分が暇だと言われて、毎日忙しいわ!となるかもしれませんが、比較論としては確かに昔の人よりだいぶ暇だと思います。そして、無意識に産業に暇を搾取されているというのも、だいぶ思い当たるのではないでしょうか。
しかし、ボードレール。
常に酔っていなければならぬ。
それがすべてだ、問題はそれしかない。
冒頭の言い切りが本当に良い。
ボードレールにとっての、暇への対策は「常に酔うこと」だったのでしょうね。
先日、大学時代の友人が短歌を習い始めたんだと言っていて、何作品かを「思い切って」と言ってSNSに載せていたのですが、これがまた良いのなんの…。たった32文字から織りなされる彼女の表現の厚みと心の世界の広さに慄きます。2,3句読んだだけでもう涙止まらず。たった32文字や17文字の短い音で、日常に始まり果ては大きな人生観や宇宙観も表現できる歌の世界というのは、日本の仮名文化の豊かさだなと思います。私は作ったことがないので、俳句か短歌か、ちょっとチャレンジしてみたいなと思ったりします。
#だんだん興味関心が典型シニア化していくのを感じる
#ナイスミドルの趣味
私にとって、自分の能力を開発したり見つけ出していくのって、ものすごい退屈しのぎになってると思うんですよね。そう簡単に上達しませんが、歌を作ってみたい衝動に駆られています。
前にも書きましたが、私はまじめに書評を書くのが出来ないので、読み途中の本の内容の一部と、そこから今日起こった謎のボードレールシンクロを散文的にお送りしました。
今の所、「暇」にどう向き合うかという問いに対する私の考えとしては、「己の変化と発展を好きなように楽しむ」ということなのかなと思うのですが、國分先生の解と比較するのを楽しみに、読み進めていきたいと思います。
#ネタバレしないでね
それでは、週末暇な方もそうじゃない方も、豊かな一日になることを祈っています。
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