こんばんは!あれ、今日まだ月曜日か、、と思った月曜日の夜です。関東はちょっとずつ強烈な寒波は遠のいていき、いつもの冬っぽい冬になってきています。お散歩も無理なくできるようになりました。寒さが和らぐと周りを見る余裕もできますので、お客様のオフィスに行って、大幅に「秩序」寄りの議論をコンサルティングファームの方々と喧々諤々した帰り、とーってもきれいな東京タワーとその空を見ることができました。
東京タワーって常に感情を揺さぶってきませんか?見るたびに何かを思い出しませんか?それはスカイツリーにもあべのハルカスにも持ち得ない、東京タワーだけの力のような気がします。一筆ポエムを書きたくなるぐらい、いつ見てもフォトジェニックです。エモさ満開。会社員時代はよくオフィスを出て一駅隣の駅まで歩いて電車に乗っていましたが、その時の目的の半分は東京タワーを見ることでした。このオレンジ色が、すべてを、洗い流してくれるんだよなぁ・・・。
そして特にこの写真は、東京タワーのオレンジの照明が空に映っていますでしょ。いい塩梅に雲が厚いときはこの景色に遭遇できて、さらに心がギュッとなります。空が染まってるな、って思います。ちなみに、港湾エリアの空も同じようにオレンジ色に染まっていることがよくありまして、それもまた大好物です。
#最初、なんで空が赤いのかわからなかった
#大火事でも起こってるのかと思って
#ぼくはドキドキしていた
「すべてを洗い流す」つながりで、今日は「水」のお話です。
掲題の「Be water, my friend.」という言葉をご存知でしょうか。これは、ブルース・リーが残した言葉で、彼が瞑想のときに使っていた一節から引用したものです。一節の全文は以下の通り。
Empty your mind, be formless, shapeless - like water.
(心を空にせよ。型を捨て、形をなくせ。 -水のように)Now you put water into a cup, it becomes the cup,
(カップに注げば、カップの形に)you put water into a bottle, it becomes the bottle,
(ボトルに注げば、ボトルの形に)you put it into a teapot, it becomes the teapot.
(ポットに注げば、ポットの形に)Now water can flow or it can crash.
(そして水は自在に動き、ときにどんなものも打ち砕く)Be water, my friend.
(友よ、水になるんだ)
こちら、昨年ぐらいにブルース・リー氏の娘さんが出した本のタイトルにもなっています。
この本、大変オススメで、どんな哲学書よりも心に迫るものがありますので、是非悩める方にはお手にとって頂きたいです。翻訳も読みやすいです。
そう、ブルース・リーというひとは武闘家であり哲学者でもあり思想家でもあったんですね。幼少期にひどい差別を受けたそうで、それを乗り越える過程において、さまざまな過去の哲学等を取り入れ、自分なりの生きるための思想を数多く残しています。その一つが「Be water」(水のように柔軟になれ)でした。
この言葉だけは知っていたので、んー、「水」っていいなぁと思っていたところ、
実はブルース・リーは水について、宮本武蔵の五輪書の影響を受けているということがわかりました。
以下は宮本武蔵の五輪書の冒頭と、水に関わる第二章部分の抜粋です。
五ツの道を分ち 一まき一まきにして
其利を知らしめんが為に
地、 水、 火、 風、 空 として五巻に書顕す也(中略)
第二 水の巻
水を本として心も水になる也
水は方円のうつわものに随ひ
一滴と也さう海となる
水に碧潭の色有り清き所を用ゐて一流の事を
此巻に書顕す也<現代意訳>
五つの道を分けて、一巻一巻として、
それぞれの有効性を知らしめようと、
地、 水、 火、 風、 空 として、五巻に書きあらわす(中略)
二巻目「水の巻」(戦術編)
水を手本だと思って、心も水のようにしなさい水は四角い器には四角く、丸い器には丸くなり、
たった一滴からいずれは海にもなる
そして水は無色なのに青く深淵な色があるそんな水の清らかさとしなやかさを用いながら
二天一流の戦い方のことをこの巻に書きあらわす(宮本武蔵「五輪書」より抜粋)
そしてさらに最近、鈴木しょうこさんの「東洋古典思想」を受講していて、偶然発見してめちゃくちゃ驚いたのですが、老荘思想にも、同じように水に学ぶ老子の言葉があることを知りました。
<老子第八章>
上善は水の若し。
水は善く万物を利して争わず、衆人の悪む所に処る
故に道に幾し、居るは善く地、心は善く淵、与うるは善く仁、
言は善く信、正すは善く治、事は善く能、動くは善く時。
それただ争わず、故に尤なし。最高の善は水のようなものだ。
水は万物を助け育てながら、万物と争わず、だれもが嫌うような低い方へと流れて、そこにおさまる。
その有り様は「道」に近いものだ。住居は地面の上がよく、心は奥深いのがよく、人付き合いは情け深いのがよく、言葉には信義があるのがよく、政治は治まるのがよく、事業は能率が高いのがよく、行動は時節に適っているのがよい。
水のように争わないでいれば、問題など起こらないものだ。<老子第四十三章>
天下の至柔は、天下の至堅を馳騁し、無有は無間に入る。
吾是を以て無為の益あることを知る。
不言の教え、無為の益は、天下これに及ぶもの希なり。この世の最も柔軟な物が、最も堅固な物を思い通りにする事が出来る。
また決まった実体を持たぬものだけが、本当にわずかな隙間に入り込む事が出来る。私はこの事によって、無為である事の有益さを理解している。
言葉に頼らない無言の教えと、無為である事の有益さに匹敵するものは、この世にはほとんど無い。
#「上善水如」と見て、日本酒しか思い浮かんでこない人、手を挙げてください
#あれも老子の言葉でした
#飲みやすかったね、あれは
後追いでチェックしたら、ブルース・リー氏、やはり老荘思想に造詣が深く、武術は老荘思想を体現する意味もあったのだとか。
そして、おそらく宮本武蔵も老荘思想からインスパイアされてるんだろうなと思って調べたら、やはりそうでした。宮本武蔵も、あと坂本龍馬も、老子に強く影響されたようです。
つまりみんな、TTP!
改めて、水。
歴史を大きく動かしてきた人は、老荘思想に影響を受け、生きる糧としていた人が多くいたんですね。
今回は「水」にまつわる思想についてご紹介しましたが、
「無有は無間に入る(実体を持たぬものだけが、本当にわずかな隙間に入り込む事が出来る)」とか「無為の益(無為である事の有益さ)」というのが、だいぶキテますよね。
「本当にわずかな隙間に入り込む」というのは、日常の色んな場面で使えるように思います。仕事でも生活でも、変化を起こすには、水のような変幻自在の存在・つまりあまり自分のこだわりを持たずに、虚心坦懐に世の中を見ないと、小さな隙間(テコを入れるポイント)を発見できない、ということではないでしょうか。
そして、「無為が有益」。これは一見して元も子もないじゃないか、、と唖然としたのですが、よくよく調べると無為にはいろんな意味があって、「なすがまま・あるがまま」ということでもあるそうです。つまり、天然理心流的な”あるがまま” であることが大事だということなのだとわかります。きっと昔の方々は、思考をぐるぐると何万回も巡らせた結果、無為こそむしろ一番過激なのかもしれない、と悟ったのではないかと思いました。
#深いぜ
#ジタバタすんな、と
水つながりで、俄然興味が湧いてきたので、東洋古典思想講座を真面目に受けに行こうと思います!
最後に、上記で紹介したシャノン・リーさんの本から、気に入った箇所を抜粋してみなさんにお届けして終わります!
何事にも執着せず、物事をあるがままに見ること。
蓄積してきた汚れを全部かき落とし、裸の状態で実相を明らかにする。
先入観という重荷を捨て、この先出会うあらゆる人と出来事に心を「開く」こと。
周囲で起こっていることをおだやかに見る。
ただ純粋に見ることで、一部ではなく全体が見えてくる。意志とは何か?
それは無限に展開する宇宙の中で、自分のエネルギーをその展開と調和するよう、自分のやりたいことへ向けようとすることだ。
やっぱ、全裸で宇宙とつながれってことです。
山Pは、正しい。