こんばんは。毎日ニュースレター配信を始めて27日目です。もうすぐ目標だった30日目がやってきます。毎日欠かすことなくやるなんて狂気の沙汰だなと思っていたし、そんなに書くことないだろと思っていましたが、そういう邪念を挟むことなくPCに向かう習慣が身につきました。むしろ一日おきで配信しようとかの方が続けにくいんじゃないでしょうか。
#うっかり忘れるとそのままズルズル忘れ続けてよいことになる
もうすぐ「やらない方が気持ち悪い」という、ありえない言葉を吐き出す日も近いです。
今日は、「企業は何のためにあるのか」について、考えてみました。
私は株式会社こども会議(仮)というプロジェクトをやっております。営利企業ではなく、架空の株式会社なので(仮)がついています。何を目指して活動しているかというと、
会社という世界観を使って、”おしごと”を通じて、社会に貢献できる力を自分も持っているんだということをこどもたちに感じてもらうこと
です。
「企業は何のためにあるのか」という問いに対し、本日時点での私の結論を先に書かせて頂くと、まさにこの株式会社こども会議(仮)の理念そのものなんじゃないか、と思うのです。ポイントは2つ。
社会に事業で貢献する
社会に貢献できる力を持っているということを社員に「感じてもらう」
「ビジネス(事業)」は基本的に、貨幣経済を前提としたモデルだと思うので、これからニューノーマルなフェーズに入っていく中で、変わらずにその形態が機能し続けるのかというと、私はわかりません。
#ポスト資本主義社会は来るか
#ビジネスの未来はどうなるか
#私は貨幣経済が続くと思う
企業は何のためにあるのでしょうか。
何のために企業はビジネスをやるのでしょうか。
日本はGDP成長率が低くて問題だという話がよくされますが、なぜ問題なのかの理由がいつもすっ飛ばされています。実は、理由を説明しきれないのかもしれません。
なぜ多くの人は会社で働くのでしょうか。お金を稼ぐため?生活のため?では、お金はなんのために必要なのでしょうか。お金はないと困りますが、仮に充分手元にあったとしたら、会社や仕事をやめるでしょうか?ちょっと前までFIREブームがありましたが、あの方々はそれぞれ豊かさのある人生を送っているのでしょうかね?
なお、FIREといえば、株式会社を構成するステイクホルダーの一つとして「株主」がいますが、彼らが企業に投資する主な目的としては、
お金を増やすため
投資した事業を通して世の中を良くするため
の2つがあると思います。しかし最近は投資の勉強が学校のカリキュラム等にも入ったようですし、投資をすすめるYouTube動画も激しいわけですが、投資の本来目的を理解せずに手段だけの勉強が横行しているようにも見えます。
社員が、そんな表面的な投資家のために身を粉にして働くなんて、だいぶ馬鹿らしい気がしますね。
なので、やはり自身の稼ぎのためであり事業のためだと”思いたくなります”。もちろん私もそうでした。
ここまで考えてみた結果わかったのですが、企業では、企業の事業に貢献しようとして働いてくれる人の、時間(=人生)を背負っているということになります。背負うという重たい言葉を使ったのは、人間にとって、費やす時間のプロセスこそ、生きがいにつながると思うからです。
会社員時代は、四半期毎に「目標設定シート」を書かされました(ほんと嫌いでした)。事業目標があり、自分のやることを分割して、それぞれが達成すべき目標値を設定するわけです。
私の場合ですが、今思えば、目標が達成できたときが嬉しかったというより、達成するに至るまでの、プロセスの瞬間の一つ一つの試行錯誤や成長を感じて喜べることが、やりがいにつながっていたな、と思い出します。
他の方もそうだと仮定すると、企業側は社員に目標数値を達成させることだけを目標にしていてはいけないと思うのです。これは、甘ったれた話をしたいわけではありません。企業体というのは、そういう喜びのプロセス(瞬間の連なり)を提供できる存在でもあるべき、と思うのです。
というのも、事業の方ばかり着目してマネジメントしていると、コストとか生産効率とかの話になりがちです。
日本は労働生産性が低い(OECD加盟38カ国中27位)と言われ続け、投入するインプットに対するアウトプットの量と質を上げることを目標にして、付け焼き刃な対策が実行されているように見えます。しかし私は、社員が働くプロセスの質をよくすることで、生産性はかなり上がるのではないかと思うのです。数値目標を追いかけ、辛気臭くギスギスと仕事しても労働生産性が高くなるわけがありません。でも、おもしろいな〜と思える時間が増えると、提供価値は自ずと高くなり、労働生産性も上がるはずです。
にもかかわらず、無駄を排除して時間効率ばかりを監視したりメスを入れたり、そのおかげで利益がちょこっと出ても、「労働生産性が良くなった」と言えますかね。そんな会社に人は集まってこないし、辞めていきますよね。これこそ本末転倒なわけです。
企業は社会システムの一つとして、社員に賃金を提供するとともに、事業目標の短期的達成を狙うためではなく、中長期的に、社員が過ごす長い時間の質を高めてあげる役割が、やはりあると思います。
社員が社会に貢献できていると感じさせる(過ごす時間がいかに有意義なものかを感じてもらう)
チームで学習でき、成長できる場を提供する
良質な相互関係を醸成する(切磋琢磨の関係や、情動とエネルギーのやりとり)
その証拠に、事業のためではなく、「社員の人生を背負うために企業や事業が存在している」という状態になっているケース、めちゃくちゃありませんか。事業をやるのが目的なのか、雇った社員を養い続けるのが目的なのか。私は会社員時代に「自分から何も動いてくれない子会社を食わせるために必死に営業してバカみたいだ」と憤慨したことがよくありました。が、これは経営視点ということではなく、社会視点でも考えると、良いか悪いかなんて簡単に判断できないんだな、と今では思うのです。
目的と手段が逆転しているという状態は色んなところで見受けられますが、企業を含めた社会システムというのは、フェーズにより進化していく生き物のようで、本当に面白いです。事業のことだけを優先して考えるから、結果的に成長ができないのかもしれませんね。
でも、やりがい搾取、なんて言葉もありますしね。
それにしても、こんな答えの出ないテーマを夜中に設定して、私はネガティブ・ケイパビリティを強化しようとしているのかもしれません。ドM絶好調です。
ところで、長文のニュースレターは読まれないらしいです笑。
ここまで読んでくださった方は、ぜひハートマークで教えて下さい!
また明日〜!