こんばんは!寒波到来の岡山県よりお送りしております。
明日は岡山県新庄村で一般社団法人構想日本がリードする「自分ごと化会議」と、featuring 株式会社こども会議(仮)の初の試み!の第三回目です。今回のおとな側の自分ごと化会議のテーマは「子どもの教育環境づくり」です。
当事者のこどもたちの意見を聞かないまま、大人の思いだけで議論するのではなく、こどもの本当の意見を反映させてみませんか?というアイデアを採用してくださった構想日本さんとともに、新庄村の村役場、村議会の議長さんに提案をして実現しました。様々な制約を乗り越えて今回がこども会議は最終回です。
「自分ごと化会議」とは、政治家や公務員任せにしていた政治・行政を、本来の民主主義のセオリー通り、住民が直接話し合い、提言を行い、実現に向けてアクションを起こす取り組みです。
肝は、参加者を「無作為抽出」していること。
誰かのコネがあるとか、学歴があるとか、有名な学者だとか社長だとか、地元の名士だとか、そんなことはマジでどうでもよく、超無作為。かなりアナーキーでフェアなやり方です。最高です。
#アナーキーインザ新庄村
我々の役目はこどもたちの意見を最大限に引き出すこと。こどもたち一人ひとりにとって、豊かな回になりますように!何か微力でもバタフライエフェクトになればと願います。そして今回のテーマで、こどもたちの思いを受け、大人たちの認識がどう変わるか(変わらないか)も、とても楽しみです。
さて、そんな今朝は、Podcast番組「teabreak & dialogue 『自分らしさ』を言語化するラジオ」に乱入してきました!またしても明け透けに話しているので、是非お楽しみください。パーソナリティのゆうすけさんは、有名企業の会社員の傍らプロコーチを生業にしていらっしゃるのですが、ご本人がお好きなお茶をコミュニケーションの触媒として使っていらっしゃるところがユニークです。ゆうすけさんの引き出しも上手だし、お茶トークも楽しいです。コーチングというのは、受ける側のスキルも必要な気がしております。どれだけググッと潜る意思があるかによって、充実度が変わりますよね。
#ふたりで作るマリアージュ
#なんと53分
#人の番組で喋りすぎるメイワク
#おばさん最強
この番組のタイトル通り、自分の「らしさ」を自分で認知するために、言語化はとても大事です。しかし、このエピソードを聞いて頂ければおわかりかと思いますが、私は未だ自分のことがよくわかっていません。後から自分で聞いても、自分の欠片を拾い集めて、なんとか輪郭を見つけようとしているような感じがします。
#中二
古代ギリシャの聖域デルフィの中心には、太陽神アポロンの神殿が建てられております。現在発掘されているものでも、なんと紀元前330年頃の建立らしいのですが、その神殿の入り口には、このように刻まれています。
γνῶθι σεαυτόν
Know thyself”
汝、自身を知れ
とても有名なこの言葉ですが、面白いのが、この「汝、自身を知れ」に込められている本当の意味です。
(Wikipediaより)
自分自身を理解するということは結局のところ他者をも理解するということであるから、この「汝自身を知れ」という格言は人間の行為・道徳・思考を理解するという理念を表すものと拡大解釈されることがある。しかし、古代ギリシャの哲学者は、決して人間の精神や思考を完全に理解することはできないと考えており、ゆえに自身を完全に知るなどということは考えられなかった。よって、この格言は人間の理解という大きな理想を語ったものではなく、普段の生活を送る中で自分が立ち向かうところの人間的性質の諸相を知るということ、たとえば、自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを把握する、といったようなことを指しているものである。
かっこいい格言に見えるのですが、尊大な内容で拡大解釈するものではなく、本来は地に足のついた意味が込められているなんて、人間の生きる智慧を感じます。いいですね。
しかし、一見すると対照的な話もあります。私が2021年頃に学んだ「氷解塾」では、「自分とは何か」というテーマの時に、下記のインサイトを得ました。
「自分とは何か?」という問いに対して「自分とは◯◯である」と規定した瞬間、他の側面を捨象することになる。本当の自分とは、言葉で限定され得ず、言葉で捉えられるよりも大きな内容を持つものである。
私たちがふだん「自分は〇〇である」と自己規定している自分像は、本来の可能性を限定している表面的な思い込みに過ぎない。
自分(らしさを含む)を言語化してしまうと、それに自分が縛られてしまう側面もある、ということで、これにも私は激しく同意します。自分で自分にレッテルを貼ってしまうということですね。自己理解は非常に重要であるとともに、その認識の壁を超え、考え方のクセに気づいてそれも超えないと成長はない。ただ、そのためにやはり「考える」のですが、自分を縛らずに虚心坦懐に考える。
#どうやるんだ
そういう意味でも、コーチングは常に「壁は自分にある」ということを教えてくれますね。
人は本来、自由なはずです。なので、自分の世界観・人生観というのは、制約にもなり得ます。そうなっていたら、そうなっていることに、気付けるかどうか。
#根本的に語彙力に難あり
自分を縛らず、可能性に意識を向けて動くことができるか
ゆうすけさんと話した後、そんな風に思った朝でした。
ちなみに、最近一つ気づいたことがあるのですが、世のリーダーたちには、「人という存在と心は、生成発展する宇宙の一部である」というモノの見方に立っている人が実はすごく多いなと気づきます。はっきりとは言語化したりしないし、自覚しているかどうかも定かではないですが、よくよく話を聞いていると、同じことを仰っている。
だからこそ、可能性に意識を向けることが大事なのだと、思うのです。
#伝わるかな、、
それではみなさま、どこもかしこも寒そうですが、可能性に意識を向けた週末をお過ごしください!